余談雑談 2021年3月6日

東日本大震災から10年である。区切りなのだろうか、TVでも当日の津波映像を多く流すようになった。

暫く自主規制していたのだろうが、やはり、見ると鮮明に思い出すので嫌な気持ちが優先してしまう。

たかが10年かもしれぬが、それでも東京以西の小学生あたりは知らないと言う子も多くなったとか。もう十年も経つと新成人は震災の経験がないということになる。

そうやって、上塗りされていく。しかも時の移ろいは加速度が付いているとも思う。だって、サクサクっと言ってみたり、重いから遅くてとか表現するから、電話回線は当然として高速回線てなワードだって使用してないよね。継がる有難みは関係なんだよな。

思い出の整理も疎かになり、乱雑な状態のまま、あちこちに脳内散乱したまま。それなのに、新しいことに付いて行くのに必死で、整理はおろか、蓄積すら蔑ろにしてないかと不安。

それこそ戦前の昔から東京に住む人間には、東日本大震災の前日は「東京大空襲」の日として記憶されている。特に、城東下町地区にいた多くの人間が犠牲になった。

当時、その前日は4月からの学童疎開のため、茨城の親戚に縁故疎開していた父の弟を迎えに行った大黒柱の祖父は不在であった。そして残っていた未成年の父と祖母、叔母二人が3月10日をこの地元で経験した。

同じ話を何十回も聞かされた。子供心に恐怖心を植え付けられたが、そこを生き延びたので現在の自分があるのも事実。

3月11日は、東北ほどではないが自分も自室ビルで震度5強を経験した。大空襲とは桁が違う恐怖だろうが、それでも、凄惨な日が連続していることになる。

親世代が戦後に上京してきて以降に東京で生まれ育った60代以下の人たちには大空襲など、何の所縁もない。

76年も前のことだし、それこそ20世紀で昭和。平成生まれだってすぐに過去の人扱いになるだろう。

人生100年時代とも言われるが、いつ大地震が再来するか解らないし二日も停電したら、東京でもどれほど混乱するだろうか。

まさか人造人間みたいに一切歳を取らないてな訳には行くまい。未だに足の骨折も治っていないし。

好き勝手に「ケ・セラ・セラ」をモットーに生きてきたが、今すぐにもう一度地震が来たらと考えると、「クワバラ、クワバラ」を座右の銘にしようかな。

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