夏の夜は三たび微笑む – SOMMARNATTENS LEENDE(1955年)

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スタッフ
監督:イングマール・ベルイマン
製作:アラン・エーケルンド
脚本:イングマール・ベルイマン
撮影:グンナール・フィッシェル
音楽:エリック・ノートグレーン

キャスト
アン / ウーラ・ヤコブソン
デジレ / エヴァ・ダールベック
エーゲルマン / グンナール・ビヨルンストランド
ペトラ / ハリエット・アンデルセン
ヘンリック / ビヨルン・ピェルヴヴェンスタム
シャルロッテ / マルギット・カールギスト
マルコム伯爵 / ヤール・キューレ
フリド / オーケ・フリーデル
アーミフェルド夫人 / ナイマ・ウィフィストランド

日本公開: 1957年
製作国: スウェーデン S・インダストリ作品
配給: 東和


あらすじとコメント

「テレマークの要塞」(1965)で主役カーク・ダグラスの元妻を演じたスウェーデンの女優ウーラ・ヤコブソン。そんな彼女が、処女の人妻を演じた名匠イングマール・ベルイマンによる艶笑喜劇の秀作。

スウェーデン とある地方都市20世紀初頭のこと。この地で弁護士業を営むエーゲルマン(グンナール・ビョルンストランド)は、後妻として16歳のアン(ウーラ・ヤコブソン)を迎え入れていたが、夜の営みは全くなく、アンは処女のままであった。

とある午後、エーゲルマンは芝居のチケットを取ったからと昼過ぎに帰宅し、勉学に勤しむひとり息子に嫌味をチクリと言い、アンに午睡しようと誘った。

ベッドに入ると夢うつつの彼が初めてアンに迫って来た。遂に、この時が来たかとドキドキする彼女だが、彼はうわ言で「デジレ・・・」と口走った。意気消沈のアンは飛び起きる。何も覚えていないエーデルマンは、妻の涙を不思議そうに見るだけであった。

その夜、二人は劇場に向かった。そこでは美人女優のデジレ(エヴァ・ダールヴェック)が主役を務めており、時折、彼をチラチラと見つめていた。それに気付いたアンは・・・

男女の営みを巡る駆け引きと暴発を見事に描く艶笑譚。

中年弁護士と若き処女の後妻。弁護士と二年前に別れた美人女優。

その女優は現在、やはり妻持ちの将校と不倫関係中。元妻に未練タラタラの弁護士が誘われるまま自宅に付いていくと現在の不倫相手の将校と鉢合わせ。

そこでの、自分こそ女優に相応しいと男だと双方の嫌味の応酬は抱腹ものである。双方とも、正妻がいるにも関わらずであるからだ。

その場は何とか収まるのだが、自分の方が格上であると信じる男らには忸怩たるものが残る。

しかし、そんなのは序の口なのだ。本作はそれからが面白い。

弁護士、将校双方の妻は何と旧知の仲。そこに弁護士の生真面目なひとり息子と色気満載の若き家政婦が絡んでくる。更には女優の母親も元女優で、母娘して奔放な人生を送ってきている風情だ。

そして、女優母娘は、何やら画策して、登場人物全員を母の屋敷に招待してのパーティーを開くことにする。

しかも、その屋敷には何ともヤラシイ仕掛けまである。

物語が進行するにつれ、こちらのニヤニヤ感と、男としての「恥ずかしさ」が複雑に渦巻いてくる。

ベルイマン自身による、実に巧妙な筋運びと脚本。見事の一言である。

スウェーデンというとフリー・セックスの国というイメージもあり、一時期、日本ではポルノ映画ばかりが話題になっていた。

国民性とまでは言わないが、この手の『おおらかさ』が根底にあるからこその作劇。裸や性行為そのものを見せないからこその「淫靡さ」。

それ以上の人間としての性といびつさ。ステレオ・タイプとはいえ、男のマウントというか、ポジショニングによる優劣の付け方がヤラしい。その上、男尊女卑が当たり前という価値観。

それを違和感なく表現するための20世紀初頭という時代設定。

それでいて、後半にでてくる母親の住む屋敷の小作人の男の設定も絶妙。草食男子など存在しなかった時代。ゆえに漲る男の欲望と本性。

何から何まで見事であり、所詮、男など女性の足元にも及ばないと震え上がらさせてくれる傑作。

余談雑談 2021年3月13日
毎日、何らかの番組で映し出される渋谷のスクランブル交差点は昼夜関係なく歩行者は増加傾向である。コメンテイターらも「多いですね」とか、驚いたように仰る。 かく言う自分も、以前よりも多くスクランブル交差点を渡るようになり、その度に益々昔と同じぐ