飲食店と外飲み派は絶滅危惧種か。飽きもせずの宣言延長で、またぞろ普通の飲酒が遠い退いた。
TVでは「我慢の限界」と店側の悲鳴を判で押したように放送しているが、一年以上前から同じことを見ているぞ。
随分と我慢強い店が多いなと感心しきりの一方で、だったら一々、繰りださずに、一年前に取材したやつの再放送で良いんじゃないの。
結局、同じ悲鳴なんだし、報道だって同じ答えを求めての出陣なら、不要不急なんじゃないのとか邪推しますぜ。
もしかして激高して生ゴミ持ってデモするぞ、てな過激な店主はいても放送はしないんだろうな。
もしくは街をマスク姿で闊歩する人々の中には、徹底抗戦的発言で偉い人に抗うというインタビューもあるのかな。もう何を言っても、素直に従うと自分たちが損するだけだし、的な。
自分の見てる時間帯が悪いのか、番組チョイスが安直なのか、激高して反政府や権力者批判を謳う人間の街頭インタビューを見たことがない。
それに、あちこちで飲酒可能店の話を聞くようになった。我慢の限界を超えての強行突破。もしくは、始めから協力金を貰わず一貫して通常営業。
たまに、その手の店の前を通るが、本当に満席状態である。でも、ヘンに臆病な自分はどうしても入店の勇気が湧かない。活力系看板に、一日中ハッピー・アワーなどと書いてある店舗造作の雰囲気と、そこに集う客層の妙な一体感が自分の嗜好性と違うなと。
常に書いているが、どこか戦後の貧しさが残る東京下町を覚えているので、戦時下で食糧難を潜り抜けてきたから、客がもう食べられないという顔が最高の幸せと笑顔で言う老夫婦の店が好物。
これは心意気だが、今は情報だけで、一回は並んでも入店するが、二度と来ないが、自分だけもっと更にお得にでよろしく、という人種が増加したのも事実だろう。
10年以上も前だが、スッピン顔の30代の主婦が、いかにもだったので、特に印象に残っている。店の老夫婦も笑顔で謝絶していたが、そこは交渉力とばかりに、笑いながら食い下がっていた。
今でも、あの主婦はお達者だろうが、子供がいれば、飲酒可能な年齢だろう。ヘンな性格なので、満員の居酒屋で楽しそうに飲んでいる若者が、関係者じゃないかと、ここでも邪推。
少し考えてみる。好き好んでの天邪鬼なので、人の流れや価値観とは常に逆方向が楽しい。事実、そこはブレずに生きてきた。
だから、不要不急の外出を続けても、逆に多くの人とは違う方向に移動しているのかも。その上、何時間も過ごす濃密な人間関係を持っている訳でもないしな。
もしくは神様も唖然として、こんな奴を罹患させたら、一人で数多くに蔓延させるぞと知っていて、敢えて外している。だから、感染しないとか。
だとしたら神様も洒落がキツいよな。だって、益々そっちに加速しそうだぜ。