余談雑談 2021年9月25日

やっとなのか、一時の気休めか。今度の金曜日、つまり10月がら飲酒開放となりそうだ。とはいっても完全フリーではないし、冬には再発令かもと疑心暗鬼にさせる。

時々、午前中早目の口開け時にだけ行く、唯一酒を飲んだことがないカウンターだけの中華屋。そこで済ませた後、編集の仕事をするのがルーティンだから。

そこのマスターの発言も、昨今は前向きではない。きっと長引く自粛営業に翻弄され、諦念しているのだろうか。

こちらは身勝手な発想で、行く毎に、いつになったら宣言が明け、自由に酒が飲めるようになるのか。それが一番重要だし、念のためにワクチンは打ったけど、そもそも20年以上も規則正しい生活を続け、インフルエンザはおろか、風邪も引いたことないし、と言うのが常。

どこから来るのか、この妙な自信。まあ、成人病数値も安値安定だし、ストレスもない人生。しかも外飲みをしないから、毎晩8時過ぎには就寝し、3時頃に目覚めコーヒー三昧の挙句、日の出を迎える。実に、のどかな日常。

ところが、この前、マスターは万が一、自分が感染でもしたら周囲に迷惑をかけるし、お客さんにも影響が出るだろう。でもって、今更なったら間違いなく閉店することになると。

要は、立場が違うと。確か、親父さんはかつて胃癌を経験していたっけな。それに、どこか怒られている感覚にもなった。

まさか、飲酒と言ってばかりいるのに、実はそこで一度も飲んだことがないイヤミかな。

それはないよな。でも、発言は昔から真面目だった。自分は罹患しないように生活する。結果、それが周囲や他人のためになると仰っている訳だし。

確かに、素晴らしい。一方、コチラは身勝手で自己中心的。間違いなくマスターは善人だし自分では忘れ去った発想だった。

災害や震災の度に報道される義援金やボランティア活動への参加。それだって、誰かの役にだ。

どうせ、そんな発想はないし、参加したところで足手まといで役には立たないし、即座に行かない正当性用言い訳が数十個も浮かぶ。

つまり、一般社会的には役立たず。まあ、口だけ出して偉そうな能書きで他人を動かすよりはマシかな。

「上級国民」には興味がないが、「高等遊民」にはなりたい自分。

何が違うか、って。さて、どこがでしょうかね。まあ、静かに諦念し出しゃばらない生き方が宜しいかな。

などと殊勝に考えるのも今度の金曜日までか。

さあ、忙しくなるぞ。他人への配慮より、結局、自分の酒へ依存度が最優先に浮かぶ。

やっぱり懲りない自分、ね。

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