ギャンブルに興味はないのだが。何よりも勝負が嫌いで、緊張感でアドレナリンなりドーパミンが分泌されない性質かもしれない。ハラハラドキドキは映画か見知らぬ飲食店を選ぶときだけで宜しい。
まして、それに金銭が絡むとなると、更に拒否反応が起きる。「馬券や宝くじは買わないと当たらない」という人もいるが、自分は「買わなければ、絶対にハズれない」だ。夢を買うとも言うが、それは「見る」とか「妄想する」の間違いじゃなかろうかと、うがった考えが起きる自分。
そんな勝負事の中に「花札」がある。今でも、それで遊ぶ人はどれぐらいいるのだろうか。日本映画で女性賭博師が主役の作品が量産された時代もあった。結構好きで追っかけて見たが、映画でさへ勝負時のあの緊張感は苦手だった。
その花札の呼び方で覚えたのが『猪鹿蝶』。子供時代にTVで博徒系映画を見た時は音だけの「いのしかちょう」がどこかオノマトペ的印象に聞こえた。で、最後の『蝶』だけ残し、韻だけ踏んで『丁半』へ流れるのかと思ったこともある。
何せ、子供のころは「灯台下暗し」だって、音だけで漢字を知らずに勝手に「東大元暮らし」と誤変換。『昔は東京大学に入り、学内で寮生活をしたエリートだったのに今は落ちぶれた人間』の意味だと信じて使用していた。
で、猪鹿蝶だが、最近ふと思ったのは何故「蝶」なのか。まあ、一緒に描かれている植物の季節や縁起の良い生き物という意味があるのだろうが、蝶以外は現在では「ジビエ料理」としての方が有名かな。だったら自分など「蝶」の代わりに「熊」じゃないかなと思う。
いやね、実は先立て、またぞろ友人らと鄙びの温泉地に熊鍋を食べに行ったんでね。個人的には、わざわざ足を運ぶ価値があると思っているし、間違いなく自分の口に合う。つまり、ギャンブルではない。
さて、来年の初旅は熊鍋が先か沖縄が先か。はたまたまだ見ぬ地だろうか。「見知らぬ地」か。おっと、これはギャンブルか。
どの道、間違いないのは勝手にコロナは収束したと脳内転換してるノー天気者ってこと。
現実には決して疾走しない師走だが、妄想だけは暴走する。まあ、東大を出てる訳じゃないしね。