つい先立ても大好きなとんかつ屋が店仕舞いをするかもと書いた。
そうしたらどうだ。別のお気に入りのとんかつ屋に顔を出したら女将さんが、あら良かった、と壁を指さした。閉店が決まったんですよ。伝えられてよかった、と。
張り紙を見て呆然とし、すぐに泣きたくなった。あちらでなく、こちらか。その日の口開け客でビールを頼みながら、後、何回来られるかと。しかも最終日は所用で来られない。そして再来週は成人病の定期検診だ。
自分は通い始めて2年ぐらいだが、張り紙によると34年のご愛顧感謝と書いてある。お元気そうに見えるご夫妻だが、寄る年波なのだろうか。
都の要請でアルコール提供を止めていた時は行かなかった身勝手者。いつから張り紙があったか知らぬが、その日も早めに混み、地元の老人など、とんかつは重いだろうに、店主夫妻に別れを言いに来ていた。
それから一日おきに通ったら、完全に一見で一人の男性客が急増していった。しかも、決まって同じメニューを注文。ネットで飲食店検索は一切しないが、恐らく何かのサイトで閉店情報が流れ、注文すべきメニューはこれ一点とでも載ったのか。
その一見客らの年齢層は様々だが、妙に共通するイメージが香り立つ。小奇麗で清潔感があり、スマホか本を見ながら待ち、出て来ると黙食で静かに帰る。どこかロボトミーのような感じ。
でも無礼で傍若無人な人間とは完全に一線を画している。皆、それなりの見識を持ち、食べに来ているのだろう。
それにしても、それ以外のものは一切頼まない。まあ、ボリュームある定食だし、ランチだからあれやこれやとビールと頼むのは自分ぐらい。老夫婦も何故、急に一見客が閉店開示後に増加し、同じメニューかと少し不思議そうだ。
何度か来ていた客なのだろうか。そこがどの程度有名なのかは、検索をかけないので知る由もないが、やはり自分同様、閉店と知ると行きたくなるのかね。
で、週明けの二度目の来店時、ビールの他に、そろそろツマミ系も品切れにしていくのだろうと、自分なりに残っていそうなものを想定していた。
一つ目は、親父さんが、それ、昨日で終わっちゃいましたと。やはり、そうか。すると女将さんが、先週品切れにしていたカキフライだけど貴方が食べたいって言ってたから仕入れといたわよ、と来やがった。
瞬間、熱いものがこみ上げた。何とはなしに言っていた言葉を覚えていてくれたんだ。では、少し重いがそれを肴にビールだ。何せ季節商品だし、最初で最後のカキフライだ。いつもと同じ大瓶ビールだが、今日は大切に飲むぞ。
静かに入店してくる一見客には女将さんが、スイマセンが、手の消毒おねがいします、と。小声ですいませんといって、着席すると決まって同じ定食だ。
自分も毎回〆には、その定食を注文する。確かに、間違いなく自分の口に合うし、その定食のために通っていたのも事実。ただ、自分の場合はネットなり、SNSの情報ではなかったが。
それでも、もっと通いたかった。ほぼそこのメニューは食べ尽くしたが、どれもリピートしたくなるお気に入りの店だった。
でも、ふと最終営業日は所用があって良かったと思った。10年近く前になるが、やはり老夫婦で営んでいた三河島のもつ焼き屋は閉店最終日に行き、恥かしくも店内で号泣してしまった。
この前、しばらく振りにそこの前を通ったら空き地になっており、近くの商店街も閉店が相次ぎ、実際以上に北風を強く感じた。その近くに、やはり70歳を超えて40年以上もたった独りでひっそりと営むもつ焼き屋がある。考えれば、そこだってカウントダウン。
昔は、映画館の閉館にも涙したが、今やフィルムで上映する映画館など、東京にどれほど残存するのか。映画館に限らずだろうが最終日に顧客が終結し永遠の決別と涙したが、もし、シネコンが撤退するという時にどれほどの人間が集まり、人生を重ね合わせ涙するのだろうか。
こんな発想時点で、自分は詰んでいるのだろうが、思い出を持つ人間は幸せなんじゃないのかな。
内科のドクターよ、許してくれ。ストレスや数値より優先するものを持っていて幸せなんです。