二泊三日で入院してきた。一年半もかかってやっと脚の骨折のボルト抜きである。
担当女医さんは、手術前日に来て、手術の翌日に歩ければ帰宅ね、と軽やかに仰る。確かに、大袈裟な手術ではないし、余程じゃなきゃ、失敗はしないだろう。
となると、後は折角入っている保険。喜び勇んで連絡を入れたら、何とボルト抜きだけは手術に当たらないと冷たいお返事。結果、雀の涙程度かよ。凄く期待したのに。
数日前から色々と検査。一応のPCR検査では当然コロナ歴なし。成人病の数値も安定中で問題なし。
病棟は差額が発生しない四人用の大部屋にしてもらった。先人が三名で、皆さん自分よりもご高齢である。看護師さんも半数以上が変わっていて、以前いた人はお帰りとか抜かす。
やはりこんな時期だし、看護師さんたちも色々と大変だろう。それに、日々応対する入院患者はそれなりに弱っている人ばかりで、どうしても皆さん口調が母親のような言葉遣いであやすような感じ。
そんな中では、自分ような天邪鬼は愚痴漏らしの休憩所らしい。夜勤のひとりなど、夜間トイレに行くときの点滴機材の着脱方法とか、振動で発生するアラーム音消去の操作など教えてくれた。つまり、ナースコールなど押さずに勝手に自分で対応してくれと。何だかなと思うが、それほど信頼してくれているんだなと納得しようっと。
手術も自分で歩いてオペ室入り。女医さんの他、麻酔医や看護師全員が女性で恐怖感を煽らないように花柄の手術着だったりした。それだけで嬉しい自分。
で、今回一番記憶に残ったこと。ひとりの同室入院患者。いかにも昭和の男で70歳を超えた方。携帯で差し迫った退院用に黒いバッグをあの、あれだ、そのタンスの中だか、どこだったか、それを持ってきてくれと奥さんに指示していた。
翌日こちらの手術が終り、病室に戻って休んでいるときに、その方の奥さんと娘さんが来た。
狭い病室で、全ての会話が聞こえた。規定日数を超えるので強制退院が通告されていたようだ。それに一人で普通に歩ける状態ではないらしく、親戚のケアハウスに転院してと娘さんが丁寧に懇願している。
患者さんは晴天の霹靂で、すぐに帰宅だと思っていたようで、しどろもどろで帰りたいの一点張り。あまり会話を得意としてなかったし、理論武装もしたことがないタイプだとお見受けした。
奥さんは一言も発しない。娘さんが掴まり立ちがやっとなのに二階へ階段で上がれないし、トイレだってどうするの、と畳み掛ける。それでも一度は帰宅し、それからケアハウスのことは考えると言い訳にならぬ言い訳で応戦。自分では帰宅する以外の選択肢はなかったのだろう。
突然の方針変更に舵が切れないし、何とかなると簡単に思っていたことが現実は厳しく、思い描くほど健康には戻ってない現状を突きつけられて逃げ場を失う。
結果、家族に押し切られてケアハウスに行くことを同意させられた。ご家族が帰った後は、もぬけの殻状態で茫然自失としていた。痛々しくて見ていられなかった。
いざとなったら自分もそうなるのか。意識はしっかりとしているが、体がいうことをきかない状態。この乖離はキツいよな。
まあ、こちらは以後、酔っ払って転倒しないようにするだけかな。それにしても、もっと保険金が出れば、素敵な年明けだったのに。