余談雑談 2022年2月5日

益々、スマホの話が耳に入って来る。例えばカメラ機能だけでも、自分がこの写真アップ用に使っているデジカメとは信じ難いほどの差が既にある。確かに10年以上も前の製品だしな。

また、心が動く。昨今の視聴者投稿動画など、それなりの機材で撮影しているように見えることも。それも少し魅力を感じさせる。

更にヒマにかまけて邪な考えも浮かぶ。何せ手術痕は未だ塞がらず、長散歩は猶予だし、外は晴天でも気分は晴れず。空気同様、心もカサつく。

そんな中、もしスマホに替えたら、それだけで動画が取れて旅紀行的な新たなものが出来そうだと思った。まあ、中途半端なものだろうが。

更新は旅行に行ったときのみの不定期。とはいっても、即座に思い浮かぶのは行きつけの鄙びた温泉か沖縄の離島系。もしくは、忘却の色褪せた町並みとか、残しておきたい風景を求めて、新たに自分が『寅さん』になる。まあ、常に財布の中は風邪っ引きってのも同じだろうが。

それをどうするか。「貴殿の歯磨き粉」にアップか。でも、一応、映画というか動画には激しく興味がある。高校、大学と学生映画製作に没頭した時期もあるし。

ふと浮かぶ。音楽挿入や合成は簡単にできるのか。当然、カットや編集にもこだわったら、大変で、そっちに気が行って上の映画評に影響が出そうだ。

でも夢は爆走する。ドローン撮影も少しは挿入したい。映像に幅が出るしね。だけど評論家気取りでプロの映画を酷評する自分が、そんな映像しか撮れないとか言われるよな。

しかし、もう8年も前になるが九州門司で100年建築の料亭での「天然とらふぐ懐石」と、立飲み「角打ち」という両極端飲食から列車を乗り継ぎ日本海を走りレトロ感満載の島根県の温泉津温泉への旅行は忘れられない。携帯でも写真を一切撮らなかったので、すべては脳内アルバムに収納。

思い出のみだと既に色褪せてきた。これからはもっと忘却に加速度が付く。で、妄想は続く。「気紛れの街角、徒然の辻」なんてタイトルてどうよ、とか。

でもな、地元でも海外の若者がスマホ片手にしゃべりながら歩いている光景は今でも見る。どうやって入国したのだろうかとも思うが、とてもじゃないが自分には出来ない芸当だとも感じる。

つまり、それに近いことをすることになるのかという羞恥心。まあ、その考えが先行するんじゃ、その手は向かないってことになる。

それにやっぱり、へそ曲がりとして飲食店の店名はアップしたくない。お気に入りの店は気さくで心優しい人なり老夫婦がやってるのが前提だ。自分と違い、分け隔てなく接客するだろうし、一期一会を客目線で要求する人間へも怒りはしないんだろう。

お気に入りの店が混雑するのは嫌いだし、かといってヒマ過ぎると閉店へ加速度が付く。そんな逡巡が続き、ここでも特定できる店名を記したことないと思い出す。

そうしたら読者で飲み友達でもある人が大丈夫じゃないの、と。だって140名前後の読者しか見てないでしょ。

でも、更に言い訳しようかな。偶然、何かの拍子に見つけた誰かが勝手に探して再アップするかも。地元の老舗名店ではない様々な店の前で観光客が必死に入ろうか止めようかとスマホをスクロールするのは毎日見る光景で、その結果を親切心のみでアップなりリツィートする人もいるかもだ。悪意がないから怖いと思うのが自分。

結局、上手く落ち着く先はどこか。まあ、何よりスマホに替えなきゃだし、編集や合成など課金ソフトの購入やら、外付けの製品も買わないとかじゃ、『無理』しか浮かばぬ。

もとの木阿弥、どこぞの世阿弥か。

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