世は黄金週間突入だ。こちらは久々の沖縄旅行から戻り、余韻を堪能中。一方で地元観光地は『禍に留意しつつ』というよりも完全に「横に置いといて」の感じで大混雑。
そこに持ってきて「マスク外し」を政府筋が流し始め、メディアもさてどうなの国民衆よと試す。
やっとか。自分自身、気管支系は決して強くないし、間違っても誰もが振り向く二枚目でもないが、それでも顔を出して歩きたい性分。
実は訪沖時の空港へ向かう電車内から静まり返った機内を含めて、禍になって以降であれほどマスクを外さずに時間を過ごしたのは初めてだった。何とも常に圧迫感があり道中ずっと旅の解放感を味わえなかった。
考えたらなるべくマスクを長時間使用しない一日の過ごし方を考えていたな。例えば、飲食以外の外出は控えて大半を内弁慶で過ごすとか。確かに寒い時期はマフラー替わりで便利ではあったが、アナログ型としては他人は生身全体を見て人物像を想定したいタイプ。
つまり、顔全体が見えて立振る舞いや香り立つ雰囲気から「その人となり」をイメージしたい。まあ、目は口ほどに物を言うとか身勝手な自分の思い込みで、他人のイメージを決めつけるのが関の山ですがね。
中にはある程度メイクを誤魔化せるとかなるべく顔全体を見せたくないタイプには良い時期が続いているのかも。何ならマスク以外にサングラスとキャップを上乗せした格好で、芸能人だぜと誤解させるのは如何でしょうか。尤も、この発想自体が昭和かもしれないが。
でも、ふと思う。この格好だと大スターでないタレントが自分は芸能人だけど、それをわざと認知させるような態度を取りながらも放っておいてね、という妙な自己アピールじゃないのかと邪推したものだった。
きっと本当の大スターは近付くなとか、スターというオーラ自体を自在に消せたり出来たんじゃないのかと。それが当時の「ホンモノ」。
不便なり、一々時間がかかった時代、様々なプロ視点の超難関を突破してからの「世紀の新星誕生」。もしくは持って生まれた超人級の才能か。昭和後期以降に主流になったビジネスとして成立しやすいセット売りでなく単身勝負。
まあ、TVと映画では随分と違う世界とも思うけど。それでも現在だって何らかの才能がないとタレントや人気芸人にはなれないんだろうし、承認欲求優先系の発信媒体はまた違うだろうが。
やはり必要なのは血の滲む努力か。でも、見た目には『白鳥は優雅に泳ぐ』的な。水面下では必死に足を動かしているが表面的には優雅に進むし、沈まない。好きな人多かったからな、見えない努力。
ヘソ曲りとしては邪な発想が浮かぶ。でも、沈む白鳥はいないのか。だって「水かき」がある前提とか、羽根に油分アリというサポートというか持って生まれた体質が影響しないの。
沈むのは突然変異型か。もしくは既に存在を知られているが、こちらの情報不足で知らないだけとか。でも、色々と認めないといけないのが現在。広い心で受け入れないとね。
あ、そうか。ならば異質個性系として今からマスクをせずヘラヘラと歩けば、どんな人混みもモーゼの十戒のように一本道が開けて真っ直ぐ歩けるか。
それで警官ってくるのかな。まあ、そこまでしなくても、そのうちに外して歩けるよな。