スタッフ
監督:石井輝男
企画:植木照男
脚本:石井輝男
撮影:稲田喜一
音楽:八木正生
キャスト
橘真一 / 高倉健
谷村 / 千葉真一
南 / 吉田輝雄
夏子 / 大原麗子
一郎 / 町田政則
鬼寅 / 嵐寛寿郎
大槻 / 田中邦衛
路子 / 三原葉子
郷田 / 河津清三郎
儀保 / 沢彰謙
製作国: 日本 東映
配給: 東映
あらすじとコメント
返還から半世紀が経過した沖縄。ならば返還前の沖縄でロケをした映画。TVの真面目なドキュメンタリーと違い、妙な作り物感が漂うが、これも真実だという風景が映し出されるのは貴重。元々は極北を舞台にしたシリーズだが、今となっては珍しい風景がふんだんに登場するので、それを楽しむ作品。
沖縄、那覇世話になった親分が事故死し、勝手に二代目を襲名した儀保(沢彰謙)に疑念を抱いた橘(高倉健)と舎弟の大槻(田中邦衛)。
彼らは真実を探すべく汽船で遥々北海道からやってきた。ところが船内でパスポートと現金を何者かに盗まれ、降り立った那覇港で現地警察とトラブルになってしまう。それを救ったのは不良少女の夏子(大原麗子)だった。しかし、以後も次々とトラブルが襲い掛かる。
どうにも現地で彼らの来訪を喜んでいない勢力がありそうで・・・
仁義に厚い男が親分の死の真相を探る大人気シリーズの第6弾。
主人公を筆頭に取り巻きの舎弟や仲間は同じメンツが顔を揃えて登場してくる。
第1作は雪原の網走を舞台にしたが、ここに来ていきなり南国「沖縄」が舞台である。しかも、自治権は認められていたものの、本土復帰前でアメリカ統治下。
つまり、日本人が渡航する場合パスポートが必要であり通貨は米ドルである。
そういう当時のどこか『異文化の地』で、現在は無くなってしまったロケ地を楽しむ作品と位置付ける。
何故なら映画の内容は、弟分が何故か敵対グループに所属しながらあっさり裏切って協力したり、主人公の信頼する兄貴分が突如、釣竿を持って沖縄の海辺を歩いていたりとハッキリいって整合性など一切無視。
当時の東映映画にありがちの仲間たちは同じ役名で連続出演し、逆に悪役はいつも同じ俳優で何度死んでも違う役名で復活出演するので冷静に見ては混乱する。
そこは大らかに刺したり撃ったり次々と人が死んだ挙句、最後に主人公の血みどろのアクションが登場して観客のカタルシスを昇華させるのが目的。
当時の少なかった娯楽の典型の一つであり、映画は映画館で観るのが当然であり、正義の味方による完全懲悪とは違う日陰者、つまりどこか高度経済成長に取り残されたと感じていた男性たちが自身を重ねる。
もしくはストレスを発散させる暗闇の安住地。だから終映後に出てきた観客は誰もに高倉健が乗り移り、肩で風切って主題歌を歌いながら颯爽と歩く。今となっては消滅した風物詩かもしれぬ。
つまり、概ねその手の観客に対して製作された作品なので整合性なりの内容としては成立していない。ただ、当時の日本映画のシリーズものは山田洋次の「男はつらいよ」シリーズにもいえることだが日本が進化し続ける過程で蔑ろというか、敢えて捨て去ってきた歴史や文化、風俗を画面に記録することに一役買っているという価値は間違いなくある。
本作も復帰前という時期にヤクザ映画というジャンルだからこそ風光明媚な観光地紹介ではなく、暗部というか「胡散臭さ」と「キナ臭さ」が漂うような場所ばかりを強調し、逆にそれがアメリカ占領下の当時の風俗を垣間見せてくれていると感じた。
改修前の色褪せた「守礼門」や、今や有名観光地化した「国際通り」、港では米軍車両が何台も画面を横切る。
ラストの出入りの場面は恐らくは名護あたりで撮影されたのでははないかと推察される。
どれも当時を色濃く反映させて印象としては強烈である。
米軍用のキャバレーでの「すごいメイクのホステス」たち、米兵との間ではないが私生児がどのような生き方をしたかとか、一応、当時の社会案件も登場してくる。
それにしても返還前のロケ地として、なぜ北の寒さを強調させる「網走番外地」シリーズかと微笑んでしまうが、復帰が決まり、その前にどこか異国情緒もあり、復帰後は観光地化するであろうことを推察しての紹介作品として位置付けたのか。
それならば正解でもある。しかし、あくまで現地紹介映像としての、と「ことわり」は付けたいが。