大人の対応か。でも、一体何を指して「大人の対応」と呼ぶのだろうか。
相手を思いはかって言動するとか忖度とか。逆に、昔の下町的『お節介』はハラスメントになるんだろう。となると見て見ぬ振りをするべきでもあるし、それがクールという名の「冷たさ」も都会派ね。
自分は下町の生まれ育ちだし、他人を疑ってはいけないと小学校低学年の頃に教わったのに、いつの間にやら「大人の対応」どころか、見知らぬ他人は『絶対拒絶』である。
「クール」でもなく「大人の対応」でもない。となると『大人げない』ともいえるな。で、ふと疑問。「大人げない」の『げ』って「気」って書くのか。
「大人気ない」か。何だか別な意味を想像するな。自分で思うほどバズってないとか、大人気者じゃねェよ、ってこと。自惚れのみが強いとか、思い込みが激しい。
何とはなく自分に当てはまりそうだ。ならば、もっとひねくれよう。間違っても、性格上は「大人しい」ではない。
確かに性格は、大人しくないし大人げもない。一々事実なのは、どうなのか。では、せめて「大人っぽくない」と言い換えてみるか。
おいおい、これまた違う意味に取れるよな。辞書で調べたら、大人っぽいは「性質や態度などが穏やかで従順なさま。大胆さをあまり感じない」だと。ならば合っているのか。
類語系で「大人大人し」てな言葉も発見。「いかにも大人らしい思慮分別がある。いかにも大人びている」。
何とも言い返せない自分。そういえば、幼少期は両親の仕事の都合で祖父母の実家で育てられ、ひとりでフラフラと町内を巡り他人の家に「遊びに来たよ」と上がり込んでたらしい。夕刻になると祖母や叔母が近所を一軒づつ巡り探していたんだと。記憶にはないんだけどね。だって認めると、まるでフーテンの寅の走りだし、放浪癖のあるガキじゃねェか。
例えば、近所の連れ込み旅館の入口脇にある鍵の受け渡しや支払いをする老夫婦の小部屋に上がり込み、ずっと猫と遊ぶ。
更に入口外側に小さな石橋と滝が設けてあり、そこでおもちゃを持って水遊びをしてたら、蝶タイのお兄さんいあっちへ行けと怒鳴られた場所。
当時は何のことか理解不能だった名称。「東京国際トルコセンター」。今なら理解できる。そこで働くママを待ついたいけな息子だよな。
で、祖母や叔母からは幼少のみぎりに『みっともない』と言われた。子供だから「大人げない」ではない。
意味は、「見苦しい」とか「体裁が悪い」。すぐに思い出したのは子供のくせに親父ギャグ。野球したくても「ミットもない」。
まあ、ボールさえあれば何とかなるさ。また、ふと考える。今必要なのは他人との喧嘩腰ではない「言葉のキャッチボール」なのかも。
さァ、大人への第一歩を踏み出すか。でも、後ろ向きで、ね。やっぱり大人げない、か。