まったく、自分の欲望最優先だからな。思い起こしても、猛烈サラリーマンとか、終身雇用で完全解雇されるまで頑張って仕事にまい進する方向性とは真逆の感覚で生きてきたよな。
つまりストレス溜めてもバランスを取ろうとする、横並び的価値観の人々の概念からは疎ましがられる存在だと充分承知している。こんな自分だからと自己弁護ですがね。
先週、東京が今年初の真夏日を迎えた日、ご贔屓の奥日光の温泉へ行ってきた。4月に3年振りの沖縄に行き、また来月にでも沖縄再訪と決めている。実はその間に大好きな温泉も行きたいなと。出来れば梅雨入り前に。
何せコロナの影響で都外へ出なかったし、ここぞとばかり旅心が疼き、膨張。金はかかるが我慢しません。せこくて不便が残る旅でも幸せと納得できる。
ところが行ってみて驚いた。先ず、乗った列車が満席。現地に着いて行きつけの飲食店へ行くと何とそこも満席。しかも着いたのは13時過ぎで、10時に旅館をチェックアウトして帰る前に食べて行くかという客筋ではない。
今までとは違う時間帯に満員だし、客筋も違うと感じたのは服装である。ライダースジャケットを着た大型バイク乗りと体にフィットした格好に正義のヒーローのようなヘルメット姿のサイクリスト。もしくは車で来ている「県民割」利用者か。
そういえば、駅でも出入口のすぐ外にあった大型灰皿が撤去され、代わりに自転車スタンド。驚くほどの変化だ。
更に驚いたのが旅館。10室の小さな旅館だが、何と満室。大小4つある風呂はすべて札掛け方式の貸切使用に変わっている。たった一人でも札を使用するのかと思うと何だか気まずい。まあ、家族揃って入る客には安心だろうが。
でも何だか、旅行に出掛けたい気分なのは誰もが同じで、結局、自分も横並び価値観ってことなんだなと、些か消沈。
鄙びた温泉地でこれほどの混雑。仕方ないと気持ちを入れ替え、山間部に向って散歩に出た。天気も快晴で山の緑のまぶしさに目を細めた。しかも緑にも様々な濃淡があると知った。きっと紅葉時にはこれがグラデーションを際立たせるんだろうな。
自生の「藤」も初めて見た。イメージとしては藤棚から紫の花房が下に出ているものであった。それが木として上に成長し、柳のごとく花房を幾つもぶら下げる姿は感動的。しかも、あちらこちらに何本もあった。
地域を分けるように川が流れ、途中で橋の下を覗くと清流は水量が多く、はっきりと聞こえる轟音でこの冬は雪が多かったのかなと思った。
面白かったのはチェックアウトの時間一杯まで過ごす客はおらず、8時過ぎに旅館は閑散としたこと。そんな時間に入った露天風呂は陽が当たり、夜明け前より熱くなっていて驚いた。
帰るときは誰もおらずマスクを外し深呼吸。緑の匂いを強く感じた。贅沢な人生だ。これじゃ、ストレスなど溜まるわけないな。
満足して帰宅すると、高校時代の仲間から同窓会案内のメールが来ていた。開催場所は北海道の旭川。
仕事の都合であちらへ行って気に入り、自然の中に家を買った奴が幹事。ずっと東京開催で奴は客人扱いだった。だから第一線から退いたら幹事催行を自分が依頼していた。
ところが言い出しっぺのくせに開催直前、脚の骨折でキャンセルし、コロナ禍もあり、それなら今が再挑戦の時期だとの案内。当然、自分は参加しなきゃだが、沖縄から戻った二週間後だぜ。
北と南の大旅行。24時間働く昔のビジネスマンじゃあるまいし、しかも遊び旅行でこの移動は贅沢過ぎるぞ。まして大散財でもある。
温泉成分が冷や汗で流れた気がした。仕方ない、宝くじでも買うか。もしくは横断歩道の信号が青に変わった瞬間に、素早く歩き出してみるか。まあ、楽しい人生最優先だけど痛いのはゴメンだな。
ふと、頭の中で歌がリフレイン。ケ・セラ・セラって。