灼熱地獄の東京。大した用事でもないのに外出し、結局、暑さに負けてタクシーを使うことにした。
またもや寄る年波を痛感することに。「どちらまで」と運転手に言われ、ふと目的地の画像は鮮明に浮かぶのだが何通りの何という交差点だったかが浮かばない。有名な場所なら兎に角、A通りだかC通りのところで、角に中華屋といってもダメだろう。
考えたら運転免許証は身分証として使うのみで運転自体は15年近くもしてないし、タクシーだってなるべく使わないから、そりゃ道や名称は忘れるよな。
なので仕方なく思い出せた場所を伝えると運転手さんは当然のようにカーナビを起動。間違い防止に打ち込む訳ですな。
しかし、そもそもこちらも解らない場所の場合はしょうがないが、知っているのに通りの名が思い出せずに、行き方を指示できなくなったから文句も言えないジレンマに陥った。
でも、何とはなく好きではない行為だなと。打ち込む運転手は道を覚えようとしてないし、間違えばナビの責任と逃げられるし、カメラで撮られているから、わざと遠回りしたろとこちらが怒鳴ることも憚かられる。
抜け道とは言わぬが、昔ならある程度混雑や信号の系統を読んで行き方を教えてたな。中には言い返す運転手もいた。でも、それがコミュニケーションだったかも。
そしたらどうだ、打ち込んだ場所が違っていやがんの。こちらがカーナビ画面を打ち込む時にちゃんと見てなかったし、向こうもこれで良いかとか、行き方に指示があるかとも尋かながった。
途中でカーナビの目的地が違うことが解ったのだが、指摘しても運転手が何が違うのか解らずポカンとした。ふざけんなよ、こっちの顔つきが変わったがカメラ稼働中だよなと息を止め、その先で結構ですと。
結果、炎天下余計に歩くことに。しかも大通りだったので日陰はない。場所のイメージは付いたので、それなりの距離があると理解した。何のためにタクシーに乗ったんだ。一瞬、意識が遠退いた気がした。
だめだ、ここで倒れて救急車を呼ぶにしても位置が分からんぞ。スマホでもないからGPSだって付いてない。
それでもまだスマホには早いぞと言い聞かせ、所用場所近くに気になる飲食店はなかったかと思い巡らせた。
正午前だったが、ビールの大瓶が浮かんだ。運転手が間違えなきゃ、ツマミが一品増えてたな。取り敢えず10分以上歩いて、所要より先に見知らぬ中華屋に逃げ込んだ。中瓶しかなく、時間柄定食のみ。それでも当然、先ずビール。
そこで痛感。寄る年波の落ち度は置いておいて、だからタクシーにも乗りたくなくなると思った炎天下。