余談雑談 2022年8月20日

ヘルニアですがね。痛み止めを飲んで安静優先の生活で改善するのを待つとか、ストレッチで筋肉をつけるとか。要は、手術ではなく緩和療法で経過見。でも、生活習慣病と違い不治の病ではない。これは朗報である。

とはいっても、まだ現在進行形で痛いのは痛い。整形外科の女医さんは背筋を伸ばすのが一番であり、坐るなり、歩くときも常に意識して姿勢を正して行動しろと。まるで性格のことまで言われているのかと思った。

でもって、先立て酒でも飲めば緩和されるかとわざわざ電車に乗って外出した。その車内、周囲は9割がスマホを見てた。こちとらからすれば、良くその姿勢が痛くないもんだと呪いの言葉が浮かぶ。

で、こちらはスマホは不所持なので姿勢を正して腕組みをしシートに坐っているだけ。電車の揺れによっては痛みが発生するので寝れもしないし、苦痛の表情が浮かぶ。でも、我慢しかない。

文庫本でも読めば痛さが紛れるかもと思うが、姿勢を正して読むには真っ直ぐ両手を伸ばして読まないと腰にひびく。

それに以前と違い週刊誌の大袈裟な見出しの車内吊り広告がなくなり、上目遣いで読むこともできない。車内吊りがなくなったことに関係あるのかないのか、それにしてもスマホに目を落としている人ばかり。

中にはスマホに集中していて下車駅であることを忘れ、驚いたように顔を上げる人がいる。そういう時に自分は目を合わせてしまう。都会では、見て見ぬ振りをするのが流儀かもしれぬが、何だか他人の小さな失敗には心のどこかで薄ら笑いをするために驚きの顔を見るのが好きという嫌な性格なのかも。

まあ、言い訳の一つとして、他人と話すときは目を見て話せと教えられ、何故か素直に信じて行動してきた。だから眼で追ってしまうとか。

それにね、一時期国際派を意識し海外に頻繁に出向いていた時には貿易商を営む大先輩から、外国人と話すときは流暢な会話が無理なんだから、せめて目を見て誠意を伝えろとご指導を受けてたしな。

しかし、自分の風体は日本では間違いなく「その筋系」に勘違いされる。もう20年以上も前だが、夜の新宿歌舞伎町を歩いたときにも呼び込みキャッチの連中が黙って道を開けてくれた。ヘンに付き纏われたり、道を塞がれたりしないだけ幸運だと思っていた。それでも性格は随分と丸くなったはずと信じている。

で、現状は車内では背筋を伸ばして坐り、何もせずまっすぐ前を見るか目を瞑っている。でも揺れで痛みが走ると眉間に皺が寄り、目を開くか泳ぐと誰かと視線が合ってしまうことがある。自分にその気はないが、もしかして『ガンを付けた』と喧嘩でも売られるのかと驚かれる。

今のご時勢には、そうはいないタイプか。確かに往年の東映映画の「いかにも系」など市井で見掛けぬ時代だ。つまり反社勢力の男衆は自由闊達に闊歩してないから若者など見たこともなかろう。それなのに瞬時に目を逸らすぞ。

何でだろう。咄嗟に防御態勢が取れるということか。まあ、「君子危うきに近寄らず」という生存本能で回避する術が付いているのか。

逆に「危うきには近寄らせず」と本能的に怖がらせればコチラはラクだな。だって、痛いんだから優しくね、ではないが立ちスマホで足を踏んだり、荷物をぶつけたりしないでね。痛いから「テメーこの野郎!」って、瞬時に立ち上がれないんだからさ。

それだったら、電車に乗ってまで酒飲みに行くんじゃねェってことだよな。

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