余談雑談 2022年8月27日

ゾッとした二つの出来事。とある駅のエスカレーターに乗ったとき、足元の踏み台と手すりのリズムが絶妙にズレていて、手すりだけが先に進む事象に出くわした。しかも下りのときだった。

自転車のチェーンとギアと同じく、かみ合って一体化しているシステムじゃないのと思ったが、ズレるものはズレるので不安感が増幅された。

腰の痛みも残り、エスカレーターで動かずに立って手すりにつかまっているだけで微妙に前のめりになる感覚は、いくらセッカチな人生が好きと言っても、とても嫌な感じ。

運動用ルームランナーみたいに、自分の意思ではなく速度が勝手に変化したらどうか。お笑い番組で見るが、何とか追いつこうとしても、バランス崩すか力尽きて結局、滑り落ちる。

まるで人生の歩みと同じじゃないか、と。自分の場合、これでバランス崩して転がり落ちたら、再々度の骨折だぞ。

前に乗る人も同じ感覚なのか、手を離して乗っている。その横を颯爽と歩いて降りて行く人もいて、都会の雑多な人種と感じた。短い間だったが、想像と反する微妙なズレは、いかんともし難いなと感じた。

そしてヘルニア。随分と改善の兆しが顕著ではあるが、先立て調子に乗って飲みに出掛けた時、ハシゴ酒してお気に入りの美人ママがいる2階のバーに行った。

その時のことだ。エスカレーターじゃないが、階段があれほどキツいとは思わなかった。しびれる側の脚をかばってきたからか、階段を上がったら反対側の脚に激痛が起きた。

まったくの想定外だった。取り敢えず、先ずはスツールに坐ろうと考えたが、痛さに膝が曲げられず。つまりは両脚の不自由感で冷静にと思っても激痛の挙句に痙攣が起きそうだ。

1階にいるときは今までの経験値上、現状の飲酒なら酔っ払ってはいないし、ふらついてもいないと思って階段を上った直後だ。楽観的な発想が瞬時に覆った。

エスカレーターを思い出した。手すりと踏み台のリズム感の微妙な差異。自分の経験値、そして脳と体の伝達速度のズレ感。大丈夫なつもりが、あくまで「つもり」になった瞬間。

一杯も飲まずに謝意を述べ店を辞した。ある種の絶望感と無力感。

無理して格好付けて飲んで倒れなくて良かったと思いはした。いや待てよ。気が付いたらママの腕の中ってことにはならなかったのか。そのまま優しく介抱が続くとか。そんな奇蹟が起きりゃ、ヘルニアもまた楽しだよな。

でも、思考と肉体の微妙な乖離はこれから拍車がかからなければ良いがと心配ごとが増えた。思い込みだけで冷静に治さないと階段使用の店はどこであろうと行けなくなるぞ。

いやね、エレベーターのあるビル内の店を探せば良いってことかなと頭に浮かぶ。でも、飲み屋だけでなく食べ物屋だって階段の中二階ってのがあるぞ。そこもあきらめるのか。

それは嫌だな。ということは治すことを最優先か。でも痛そうだから、静かに祈念するか。

奇蹟は無理でも、ラクして楽になりたい願望は消せないんだよな。痛いの痛いの飛んでけ、って人生所望す。

そんなことばかり妄想してると、それこそエスカレーターの差異以上にシャレにならない速度変更になるかも、だけどね。

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