TV番組は秋の改変期である。
とは言っても、今や話題なのは配信番組系。課金のやつである。ところが、そもそも「課金」と聞いただけで拒絶反応を示し、背筋が凍る性分。
何せ、レンタルビデオのチェーン店でさえ、割引時しか借りないし、ここで扱う以外に暇潰し的というか、一般的話題作には100円すら払いたくないほど確信的。時々、本当に映画が好きなのか疑問に感じることも増えたけど。
結局、ギャンブル的新規鑑賞より自室にある、昔購入したDVDやTV録画のストックが2000タイトル以上もあるから、それならタダだよと考える。
でも、逆にいつでも見られるとしまい込んでデッドストック化してるよなとも感じる。男性に多いと言われる「コレクター魂」という収集癖の一環で自己帰結し満足してしまう。何だかな、とも思う。
それでいくとパンフレットやポスターだって場所を取りながらしまい込んである。しかも、自分の収集癖価値観からすると1970年以前に重きを置いている。
映画作品自体、何とはなく1960年代までとそれ以降では重さが違うイメージがある。まして21世紀以降は、技術の進歩速度と監督や俳優たちの表現的価値観とそりが合わず、苦痛を感じることが多くなっている。
確かに1960年代はTVの隆盛に追われて映画業界が急速に衰退していった年代。ゆえに惹かれるんだったら、やはり前向きではない性格。
でも、以前から言っているがTV業界もかつての映画界と同じ道を辿っている。昔以上に技術力なりの進歩が著しくて、TV画面だって4Kから8Kとかクリアさにこだわる。間違いなく大画面モニターでなら臨場感も半端ないだろうが。逆にスマホ鑑賞を意識して作られているのもあるんだろうけど。
どの道、感じてしまうんですよ。TVドラマなど、今風役者の好感傾向の特徴が超特別感を放つスター性がない方がベターなのと。目を見張る美男美女なり、一度見たら忘れられない個性が光る演技派が激減した。一方で、小画面用なのかお笑い芸人は所作がオーバーになるとか、演技は目を見開いて力むやら。
顔の作りや声質、演技方法の違いにも増して、顔面左右の非対称が如実に分かるタイプが多くなったと。つまり非バランスが際立ち、イメージ売りと本来の性格は極端に違うのかなと感じさせてしまう若手が多い。
その上、かなりメイクで盛っているのに、それ以上に顔色が悪いとか歯並びと歯自体が気色悪いほどセラミック色しているとかにばかり注意が行く。これもクリアに見え過ぎる功罪かもしれない。
更に細かいセットの装備品まで綺麗に映しだすので安物感が際立ったり、粗探し的な方向へ目が向き、折角頑張る演技に集中できないのは、まあ、こちらの性分でしょうがね。
かつて映画評論家が映画評論家であった時代に「十二人の怒れる男」のパンフレットに寄稿した荻昌弘が「カメラは冷徹だ。人の本性を見抜くから」と書いたことを思い出した。
ただし、それは銀幕上でクリア過ぎないフィルム画面を知った上で、役柄を咀嚼し見事に表現する役者らが観客を騙しているということを評価したもの。決して俳優個人の本性を見抜いたことを指している訳ではない。
それにこちらの性格も災いし、多くの洋邦画やTVドラマを見てくると、何かのパクリと想像が付きやすいのも投げやり視聴になる要因。じゃ、新しいものに飛び付かなきゃ良いだけ。そして置いてけ堀の余生が増幅される、てか。
でも製作側には失礼だが、片肘ついて寝そべりながらラクに見るのはTVなんだよな。100円もかからないし。さて、今シーズンは何を見て暇をつぶそうかね。
おお、ヤダ。やっぱり上から目線の性分か。