年が明けた。
東京は元旦から穏やかな晴天が続き、今年は何か運命の好転があるかもと期待してしまった。
それにしても地元は大盛況で初詣客が海外からも押し寄せて、エサを求める池の鯉の如し。
なので、基本部屋に籠った。これは例年通りだ。そして正月特番という押し付けの番組ばかりで、通常のニュースなどなくなり、時間経過が混乱してくるのも例年通り。
それでも、晴天は心を浮つかせる。ただし新年早々あれ、ということも。自室玄関ドアの鍵がポキりと逝った。まあ、壊れたというより、「壊した」と言った方が的確だろうか。
古いドアで、鍵も旧式。オートロック式でもなく、鍵を差し込んで回して開錠するタイプ。
とっくにマスターキーは存在せず、コピーを繰り返してきた。そのコピーも、10年以上は使用した。しかも古過ぎてキーの回転がままならず、引っ掛かるようになってからずいぶん経った。
それでも力付くて必死に廻して開けてきた。それが正月2日、本日より開店という地元の幼馴染が営む中華屋に開店の朝10時前に行き、新年の挨拶がてらビールを一杯飲んだ帰りに鍵が入ったまま、ねじり切れた。
ふざんけじゃねェぞ。正月早々ドアに向って呪いの言葉を叫んだ。しかし、それは魔法の言葉でもないので、開錠するはずもなく。何だよ、今年も厄の当たり年が継続か。
それでもラッキーだったのは折れた鍵先が幾分か差込口から出ていたこと。その場で指先に集中して抜き出せた。更に何事も信用しない性分としてスペアキーを隠し持っているので、事なきを得たのが幸い。
ただし、新らたなスペアを作らないとな。正月早々、予想外の課金が起きる不運。
どうも、不運とか課金とか呪文のように唱え続けると本当にそちらに運命が転がっていくような気もする。でも、口にださずとも思っていれば同じか。
発想の転換とか、ポジティブ志向ね。今週は3万円拾うと唱えれば、叶うのか。ならば毎週唱え続ける自信はある。脚の骨を折っても、膝下が象のように膨れても、奇跡の如く直ちに治れと念じれば、自然治癒するのなら人生はラクだ。
しかし、それが叶うと人間は更に欲望が増すのだろう。そのために努力する人間も大勢いる。かといって、それこそ全員が夢の頂に到達するか。
夢なんぞ実現しないことは中学一年の頃から知っている。何せ、努力を止めたから。随分と大人びていたのか、諦念が早過ぎたのか。
自分以外にも努力しないで成功したいと思う人も多いんだろうな。1960年代に、そんなタイトルのミュージカル映画もあったな。
努力したって報われないことの方が多いし、それでも人生経験上有意義と仰る人も多い。結果よりも頑張った過程も大事、だと。でも自分なんぞ、自己満足じゃねェのと思う。
更に、斜に考える。お釈迦様の手中の孫悟空じゃないんですかね。元気良く暴れ回っても、所詮掌中。それでも男の本懐なのかな。
まあ最後は包まれるように心地良くなるのかな。だとしたら麻薬の一種になりそうだ。中毒症状的に、努力なりポジティヴが基本。確かに、自分のような妄想の暴走よりはずっとマシだし、社会的にも承認されやすいよな。
鍵が一つ壊れて、松の内が明ける。ドアノブ本体が壊れるよりはずっと安いよな。そう思えば、随分と幸運だ。
ほら、これがポジティヴってことだよね。