スタッフ
監督:エットーレ・スコラ
製作:M&V・チェッキ・ゴーリ
脚本:ビアトリス・ラヴァイオリ、E&S・スコラ
撮影:ルチアーノ・トヴォリ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ
キャスト
マルチェロ / マルチェロ・マストロヤンニ
ミケーレ / マッシモ・トロイージ
ロレダーナ / アンヌ・バリロー
漁師 / レナート・モレッティ
ピエトロ / ルー・カステル
日本公開: 1999年
製作国: イタリア チェッキ・ゴーリ作品
配給: アルシネテラン
あらすじとコメント
「スプレンドール」(1989)で映画館主と映写技師として共演したマルチェロ・マストロヤンニとマッシモ・トロイージ。何と同じ年に再共演で製作された作品。しかも製作者も監督も続投。今回は親子役で味わいだけで見せる作品。
イタリア、チヴィタヴェッキア
ローマの南100キロにある小さな港町。そこの軍事基地に、ローマの弁護士マルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)がタクシーでやってきた。兵役中の一人息子ミケーレ(マッシモ・トロイージ)の休暇に合わせ、一日を共に過ごすためにだ。
だが、父親は仕事にかまけて長年息子と正面から向き合うこともなく、やり過ごしてきた経緯がある。結果、息子が成人してから初めて二人だけで一緒に過ごすのだ。
互いに気まずさが勝っている。それでも町に繰りだした二人は小さな食堂に入った。そこで父は、息子が大好きだった祖父の形見である懐中時計をプレゼントした。息子は驚いて舞い上がってしまう。父親も素直に微笑んだ。
何とか打ち解けそうな気配になり・・・
不器用な親子の一日を静かに追うドラマ。
久々の再会であり、初めて過ごす時間。微妙な距離感が漂い、親子それぞれが互いに何とか近付こうとする。
実は、ただそれだけの話である。暗い過去があったり、誰かが死んだり驚愕の真実が隠されているわけでもない。本当に気まずい親子の一日を丹念に追うだけのドラマだ。
初見時、正直驚かされた。これだけの内容で良くぞ映画化したものだと。お互い大した過去もなく、互いが劇的に影響されるわけでもなく、淡々と思い付きのたわいもない会話が続くだけ。
それが観光地ではない小さな港町のバールや、トラットリアと呼ばれる定食屋、小さな移動式遊園地や映画館で、ひたすら繰り返される。
TVの家族ドキュメタリー的内容であり、劇映画らしく単純に不器用な親子の溝が都合良く埋まる訳でもない。
間違いなく「まったりとした」とか「定点観測的町の紹介」で満足できる観客しか我慢できないかもしれぬ。
そうなると映画としては主役二人の演技に頼りざるを得ない。その点、主演の二人は見事である。
受けのマストロヤンニに対し、息子役のトロイージは神経質でどこか病んでいるとと感じさせる脆弱さが漂う。それを取り繕いながら、必死に親子の絆の再構築を目指して頑張る印象。その姿が若干痛々しさを伴うのだが。
しかも主演二人の他にも製作者、監督、撮影、音楽は「スプレンドール」と全く同一で、姉妹編とも思わせるが、全然違う印象を与えてくるから興味深い。
すべてはロケ撮影であり、小さな町の息吹は嫌というほど感じられる。そんな自然体の中で淡々と親子の修復が描かれていくのだが、イタリア好きな自分としては、まったく観光地でもなく、それでいて潮の匂いを感じさせ、田舎の人々の息吹が香り立つので、妙に住んでみたい場所だと酔いしれた。
それにしても、つくづくこんな内容で映像化したと、ある意味イタリア人の「ゆとり」を見せつけられた気がした。
何故なら日本では父と息子の不器用な関係性なら無口で会話など続かないだろうから、どうしても劇的要素を挿入したくなるだろうし、それにより薄っぺらなドラマになってしまいそうだから。
どこか小さなワイナリーで家族のみで作られた白ワインのような味わい。つまり、「白」ゆえに常温では美味しさが際立たないという、絶対に一般受けはしない映画だとも感じる。