せっかちな性分である。
落ち着きがないとも子供時代から言われたし、江戸っ子だから当たり前と自嘲してもいた。約束の五分前集合は当然。銀行系ATMやレジやタクシーでの所作が鷹揚な人にはイライラすることもある。
そんな自分なのだが、今風の「早さ」には付いて行けないものもある。特に、「時短」系は何故か好きになれない。最たるものが「1.5倍視聴」とかいうやつ。
以前から、速読術としての瞬読は理解力や感性の向上など能力をアップさせる方法として認知されてきた。だが、それとは違う気もする。
映画やドラマを1.5倍なり2倍速で見る。しかも1時間を超えるドラマや映画は「長尺」として敬遠される傾向もあるとか。確かに人間の集中力は15分とも言われるから当然かもだが。
もしかして、結果速読術的に己が知らぬが力が付いて民度が再浮上とかになるかもだから単純にはけなせない。まあ、目的意識を持ち速読術を身に付けるのと、大した考えもなく皆がそうだからと無意識動作のみで生きているのでは違うだろうが。
少し確信したのは、街頭インタビューで1.5倍速は、素早く見れば他のことに移れるし、面倒臭くなくてラクだからと平然と言い放った若者を見たときである。
遂に「便利」から「ラク」と言いだしたか。まだまだ少数だろうが、その手に「ラク」という言葉を投じるか。
自分の学生時代は交換留学で行ったイタリアで日本自慢をするために「新聞を読む」を引用した。英語圏や西欧は大小アルファベット26文字に数字が読めれば新聞は読める。
一方の日本は一応51音の「ひらがな」「カタカナ」、そして約2500字程度の「漢字」が理解できないと辞書なしで新聞を読めないんだぞ、と。そして、当時の文盲率は、ほぼ0%である。一様に驚いてくれたのが懐かしい。
今じゃ新聞や小説、ひいては紙媒体系全般が読まれなくった。手書きも激減すると自分でも漢字が出てこないことが頻繁になった。
確かにPCは単純に変換してくれるが、最初に出てきた文字候補が正解とは限らないし、そこは語彙力が必要だろう。社会現場を離れて久しいが、メール等でのやり取りが主流でもちゃんとスペルチェックはしているのだろうか。
仕事関係で誤字脱字、丁寧語や敬語の誤用は信用にかかわるとも思うのは、昭和世代か。それとも「スタンプ」とかいうお茶目で文字でもないイラストで代用すれば事は済むと返答するのかい。
でもさ、スマホや時短が進むと語彙が減り続けて、加齢による「ほら、あれだよ。あれ」てなことが、若年層で起きてくるってことじゃないのか、ちょっと邪推。
ならばテレパシー交信とか身振り手振りで。それも対面じゃないと、画面越しではどの程度通じるのか。きっとそのために画像解析率向上が新ビジネスとかになるんだろうか。
でも、使う方は面倒は御免がメインで、どうせなら簡単便利が当然というスタンスの『浅はかベース』で「人生ラク勝」とか平然と言うんだろうな。
そういうのを「人生の脱ラク者」って言うんだよと思うのは、ザマァ見やがれの親父ギャグさ。