ひまわり- I GIRASOLI(1970年)

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スタッフ
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:ヴィットリオ・デ・シーカ、カルロ・ポンティ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ、T・グエッラ、G・ムデイバニ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ヘンリー・マンシーニ

キャスト
ガルヴィアーティ / マルチェロ・マストロヤンニ
ジョヴァンナ / ソフィア・ローレン
マーシャ / リュドミラ・サべーリエワ
ガルヴィアーティの母親 / アンナ・カレーナ
ヴァレンティーナ / ガリーナ・アンドレエーワ
復員兵 / グラウコ・オノラート
エットーレ / ジェルマーノ・ロンゴ
駅の切符売り / ピッポ・スタルナッツァ
ソ連の役人 / グナル・ツィリンスキー

日本公開: 1970年
製作国: イタリア カルロ・ポンティ・プロ作品
配給: ブエナビスタ


あらすじとコメント

イタリアを代表する俳優マルチェロ・マストロヤンニ。女優と言えばソフィア・ローレンか。何作も共演する名コンビであり、その二人が出演したメジャー作品を扱ってみる。

イタリア、ロンバルディア地方第二次大戦下で知り合ったガルヴィアーティ(マルチェロ・マストロヤンニ)とジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)。32歳になる彼には、元来結婚願望などなかったが、結婚さえすれば12日間の新婚生活が送れ、その分招集が遅れるとの理由で結婚を決めた。

幸せで濃密な日々を過ごす二人だったが、いよいよ招集日が近付くと離れがたくなり、わざと刃傷沙汰を起こした。彼が精神的に病んだと思わせるために。

思惑通り精神病院へ送られるも、それが詐病だと解り極北のロシア戦線へ送られることになってしまう。

そして戦争が終わるがガルヴィアーティは行方不明となり、帰還してこなかった・・・

戦争に翻弄された夫婦の悲劇を描く人間ドラマ。

戦後の引き揚げ者に夫の姿を見いだせない妻は義理の母親と手を尽くすが一向に埒が明かない。

それでも生きていると信じる妻は単身、ソ連に渡り必死に夫を探し続けるという話。

結局、夫は存命しているのだが単身ではないと判明する。絶望的な敗走途中の氷雪地帯に取り残され、臨死体験をした人間は価値観も変わると提示してくる展開。

しかも、成程の好色系かとも感じさせるとてもワガママな男の性であり、それをマストロヤンニが演じれば間違いなく適役と相成る。

一方で、これまた南イタリアらしいヴァイタリティ溢れるナポリ女役のソフィア・ローレンも納得の存在である。何せ、手掛かりを求めてソ連に入り、そこから隣国ウクライナまで探し求めて行くのだから。

人間というよりも「男」の脆弱さを際立たせて、それでも言い訳を正当化しつつ生きて行くのが男と描くのに美しいカメラ・ワークと印象的な旋律の音楽を取り入れる。何ともむず痒いヴィットリオ・デ・シーカ演出も手堅く、妙に染み入って来る。

あくまで戦争が市井の人間の正常な価値観を狂わせ、本来一生体験しないであろう異国の極北の戦場で敗走に次ぐ敗走をしつつ、命尽きて行く仲間たち。

しかし、誰も他人を助けられないのだ。そのことを平気で非難するヒロインは戦場を知らず、自分の直情的な感情で取り乱して相手を罵る。

そこに横たわるのは戦場の男と銃後の女の違い。確かにヒロインの激情型性格は『鉄火肌』を感じさせ、引いてしまう男も存在するだろう。だが、人によってはそこに互いが惹かれ合う「何か」があるのだろうか。

そういった主人公二人に対し日陰の女的な描かれ方をするのがウクライナ女性。献身的でどこかマザーテレサ的『聖母』として描かれる。

対照的な二人の女性に同じような愛情を注げるのがイタリア男なのだろうかという不思議さもあるが、当然、誰もが幸せになるハッピーエンドは存在しない。

同じ敗戦国日本でも、このような時代背景が存在したが、情熱さが薄幸さを生じさせるヒロインは存在しなかったと思わせる。

そこに敗戦国とはいえ、お国柄の違いを感じた。

兎に角、戦争に翻弄されるのは常に市井の人間だと描きたかったのだろう。確かにその点ではデ・シーカ監督の手堅い演出法はブレていないと感じる。

余談雑談 2023年2月4日
せっかちな性分である。 落ち着きがないとも子供時代から言われたし、江戸っ子だから当たり前と自嘲してもいた。約束の五分前集合は当然。銀行系ATMやレジやタクシーでの所作が鷹揚な人にはイライラすることもある。 そんな自分なのだが、今風の「早さ」