ほぼ満開だな。東京は今週半ばから雨模様が勝る印象だが、それでも自室眼下の桜は満開になった。
ただ古い樹木ばかりなのか剪定が大幅で、随分と枝を切り過ぎたなという印象。なので、上から見るとスカスカで往年の迫力はない。
それでも行動制限のない花見の解禁で懸念していたが、雨模様で騒がしい宴会酔客の声が拡がらず、近隣住人には好都合でもある。しかも雨に濡れることもなく早朝から昼下り、夕刻まで何度か眼下を見ると開花が進むのが分かるなんぞ、どれほど恵まれた環境に住んでいるのかと感謝せざるを得ない。
たかだか10階にも満たないフロアながら、タワーマンションの最上階に住む特権的人間と同様に自惚れているのも何だかなだと思ったりもするのだが。
それでも窓から見える景色は四季の変化が楽しめるとか、高層過ぎないのが逆に良いとかは自惚れる。だが、荒天時の窓に叩きつける雨音の激しさや、地震の長周期震動にも妙に連動することも受け入れないといけない。
しかし、トータル的には好環境であり、癒しの場所とさえ感じる。住めば都ともいうし、築60年の老朽物件だとしてもだ。そう感じられるだけでも幸せ。つまり自分は猫型なのだろう。「犬は人に付き、猫は家に付く」とかいうアレである。
そういえばこの前、TVでアイドルが愛犬や猫が自宅で待っているから、嫌なことがあっても帰れば癒してくれるから頑張れると発言していた。成程、アイドルなら恋人とか酒というよりもイメージは良いよな、とその時に思った。
どの道、仕事も含め人生で嫌な思いを無理強いされることはとっくにないし、20年以上も何かのために頑張ったことはないよな。当然、今後も頑張りたくなんぞない。
体も懐も劣化を受け入れ、それに合わせてサイズダウンして行けばいいじゃないか。やりたいことは若い頃にほぼやったしな。無理して、もがくのも性に合わない。
だから、癒しのために生き物は飼わない。だって今から小さいのを飼えばこちらが先に寿命を全うするかもしれぬ。
それに旅行だって面倒だ。連れて行くのか預けるのか。それがストレスの種になるやもしれぬ。そもそも間違っても禽獣類を「家族」とは思わない性分。
いかにも自分らしいよな。結果、そうね、じゃそろそろ旅心かね。春だし。