余談雑談 2023年4月22日

新しいものに興味はないのだが。

不思議に思うことがある。関西にある「江戸前」を謳う寿司屋。そして東京で「関西風」のお好み焼き。

それぞれの地域に思い入れがある古風な人間には、珍妙に映るのだろうか。

自分もその一人だ。昔は江戸前の海で獲れた「東京湾産の魚」を使うからとばかり思っていた。

なので数十年前だが、江の島や近辺海岸で「地モノ」として売られているサザエなどは随分とハングル語が上手いと冗談で言われていた。そこで一週間も生きたまま沈めておけば、産まれは別でもれっきとした「地モノ」である。

まあ、そう言われた時期よりも数段輸送も時短になり、東京湾の朝獲れ魚が数時間で大阪へも着くしな。

しかし言葉なり解釈は広範囲になり、世界が近付くと無意識で感じる人も多いのだろう。それでも違和感を覚える。

今や江戸前の寿司に関しては「酢で〆た」とか「漬け」を指すと変化したのだろう。それが言葉なり解釈拡大化の変遷。

それに、こちらの人間にしたら関西風と広島風のお好み焼きの違いは詳しくは知らぬ。もしかしたらそれぞれの人間が一緒にするなとお怒りになるのだろうか。

個人的にだが嗜好性は強い。なので自分の幼少時代なりお好み焼きが日常ではなかったから、今、町で見掛けても食べたいとは思わない。

かといって地元系と称される「もんじゃ焼き」も今や食べたくない。何故なら、貧乏の匂いを思い出すから。まあ今のもんじゃ焼きなら具だくさんで貧乏を連想する人間はいないだろうがね。しかも聞くところによると今の代物は味付きであり、以前のように白濁液に自分でソースを入れて調整するスタイルでもないとか。

時代は流れる。成程の進歩なのだろうな。確かに自分で味付けの時代はセンスが要求された。例えそれが子供同士でもだ。そんなことで諍いが起きるのなら、店の味付けが中庸ということだろう。

だから江戸前でも関西風でも大らかに対応せよということだろうか。

では、今流行りの「チャット文書生成」とかいうソフトで「江戸前」と入れると、どう答えるのか。嫌な予感しかしないのはこちらの問題だろうが。そもそも新しいもの自体を受け入れない固定化観念の成れの果て。

進歩が苦手な自分は、ソフトに「化石」と問いかけ「貴方自身」と言われたら嬉しいんだけど。

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