サン・セバスチャンの攻防 – GUNS FOR SAN SEBASTIAN (1968年)

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スタッフ
監督:アンリ・ヴェルヌイユ
製作:ジャック・バール
脚本:ジェームス・R・ウェッブ
撮影:アルマン・ティラール
音楽:エンニオ・モリコーネ

キャスト
アラストレー / アンソニー・クィン
キニ─タ / アンジャネット・カマー
テクロ / チャールス・ブロンソン
ジョセフ神父 / サム・ジャフェ
カジェターノ / ホルヘ・マルティネス・デ・オヨス
フェリシア / シルヴィア・ピナル
ゴールデン・ランス / ハイメ・フェルナンディス
司教総代理 / レオン・アスキン
アゲタ / ローザ・ファルマン

日本公開: 1968年
製作国: アメリカ MGM作品
配給: MGM


あらすじとコメント

今回は、前回扱った「荒野の七人」(1960)を一人で実行しようとする男を描くアクション西部劇巨編。ただし、かなり異種格闘技的な印象を受ける。

メキシコ、サカテカス

お尋ね者アラストレー(アンソニー・クィン)は、メキシコを支配下に置くスペイン軍から執拗に追撃されていた。追い詰められた彼はミサ中の教会に逃げ込んだ。当然軍隊もそのまま流れ込んできて彼を捕えようとするが、ジョセフ神父(サム・ジャフェ)が身を挺し制した。

九死に一生を得るアラストレー。だが、軍から圧力を受けた教会幹部から神父は僻地サン・セバスチャンへの転地を命じられる。素直に従うジョセフ神父だったが、アラストレーも神父の馬車に隠れて脱出を試みた。

結果軍の追尾を振り切り、艱難辛苦の果てにやっとサン・せバスチャンに辿り着く二人。そこは前任神父はおろか、村人さえ誰一人いないという異様な雰囲気。

それでも二人は荒れ果てた教会の再建に乗りだしたが、突如やって来た村人テクロ(チャールス・ブロンソン)にジョセフ神父が撃たれてしまい・・・

村人を凶悪先住民から守る男を描く活劇アクション。

命懸けで助けてくれた神父の温情で改心した盗人。二人で行き着いた場所は寒村。

村民はキリスト教信者ばかリだが、それを認めぬ先住民が殺戮を繰り返すので村を捨て山間部に逃げ忍んでいる。

そこにやって来たのだが、トラブルの元になると村人に殺されてしまう老神父。そこで「ニセ神父」として村を守ろうとする盗人が活躍するという展開となっていく。

村人たちに信仰心や村の再興、生への激励とまるでたった一人で「荒野の七人」(1960)全員分を独りで受け負った態の主人公。

だが、改心したものの根は悪党でもある。その部分を活用して軍幹部と交渉し大砲やら200挺のライフル、大量の火薬を支援してもらい、今度は村民に戦い方を教えていく。

先住民とメキシコ人双方の血が入るチャールス・ブロンソンとの軋轢やら、村娘との恋模様を絡め、最後は大スペクタクル・アクションと相成っていく。

ただし、正統派西部劇やマカロニ・ウェスタンとも違う、何とも奇妙な印象ばかりが勝る。それは監督がジャン・ギャバンとアラン・ドロン出演の犯罪ドラマ「地下室のメロディー」(1963)やその二人にリノ・ヴェンチュラを加えた「シシリアン」(1969)を撮ったフランスのアンリ・ヴェルヌイユであることが大きい。

フランス特有の何かに特化したり、迎合して真似するだけの作劇が大嫌いらしく、斜に構えながら自己主張をするタイプの監督。そこに無国籍感が流れ、更にマカロニ西部劇の印象が強いイタリアのエンニオ・モリコーネが音楽という異色タッグ。

でもって主役がアンソニー・クィンであり、脇にチャールス・ブロンソンの起用。両名ともアメリカの西部劇では悪役で、いかにもの有色人種ばかりの悪役であった印象。だが、それ以外は馴染みのないメンツが多く、そこも微妙なアウェイ感を漂わせる。

大雑把な展開と壮大なスケール感の差異が微妙さを増幅させるし、勧善懲悪でもなければ素直なハッピーエンドでもない。そこもシニカルさが個性と信じるフランス系監督の主張を感じた。

朴訥さと牧歌的が混じり、汗臭さとキナ臭さが蔓延する。何とも不思議なティストの大型西部という印象。

余談雑談 2023年6月17日
いろいろな職業があるもんだ。 ひとつのことに特化して精進し「プロ」になる。立派である。そこに「スーパー・何とか・クリエイター」と自ら名乗る人物を見た。 『何とか』には特定名が入る。例えば「和菓子」とか「煮込み」といった、今まであったものなり