「失せ物(うせもの)」。
聞かなくなった単語である。昔の日本映画では、薄暗い辻にいる大きな虫眼鏡を持ったヒゲ面の占い師が「失せ物をお探しかな」てな具合で使われた言葉。
今回はホテルの石鹸である。使用頻度が少ない引き出しの整理をしようとしたら、いつのころか解らぬ小型石鹸がプラスティック・ケースに入ったまま出てきた。しかも未使用。ロゴが入っていたから海外のホテルからの持参品だろう。
すぐに連想した。かつて飲み仲間だったホテルマンが風呂用アメニティ・セットを「失せ物」と言っていたことを。消耗品なので持ち帰るのは想定範囲内だし、どの程度のグッズを置くかで、ある程度ホテルの格が決まるとも。
しかし、今やボディ・シャンプーは液体で壁面に備え付けのみのビジネス・ホテルとか、温泉旅館にしても固形石鹸がある宿はどれほど残っているのかと疑問を持った。
確かに昔は高級ホテルに泊まると持って帰れとばかりにホテルロゴ入りケースに入った高級ブランド品だった。
今でもアメニティ・グッズとして、それなりのホテルには取り扱いがあるのをTVで見た。つまり現状の自分が行ける宿は、そんな持ってけ泥棒的な高級品がある所へは泊まれぬから、想像だにしてなかったってこと。
で、続いて思ったのが、今や持ち帰っても自宅で使うのか、である。どこかの美人アナウンサーが言ってたな。衣装ケースやインナー用引き出しに忍ばせておくと微かに高級な香りが付く、ですと。成程とは思ったが、個人的な嗜好性とは違う。
確かに自分は固形石鹸が好きで流し台には必需だ。ただ、昔ほど様々な固形石鹸を見なくなった。100円ショップや薬屋チェーンでも。なので選択肢はなく、この10年は同一商品。だから出て来た『高級石鹸』は小さいが、流し台に置いてみるか。
そういえば「もったいない精神」で小さくなった石鹸を幾つかまとめ冷凍ミカンのネットに入れて使っていた。
あのネットって、どこで手に入るのかな。何枚もいらないが今あれば安モノとセットにして、それなりの高級感を楽しめるかも。
尤も、今や水道の蛇口に結び付けて石鹸を完全消費する発想などないのだろうが。お中元やお歳暮で石鹸が重なり、一生分来たと苦笑した父親の顔が浮かぶ。
泡と消えるから「失せ物」。バブルの時代もそうだったっけ。それを知らぬ世代から、どうだったかと尋かれることがある。思い出したくもないと返答する自分。
恩恵よりも渋滞やタクシー配車の不便さと一過性の差別を受けた印象しかないから。時流には乗らなきゃと生意気に笑った大人たちがすぐに凋落したときは、短期間に一生分の幸運を使い果たしたんでしょとほくそ笑んだことを思い出した。
そんな質問をしてきたのは30代の女性。今バブルが来ても、自分だったら踊らされないと真面目な顔で言ってきた。
即座にこちとらのヤラシさに火が点いた。「大変立派な心構えですね。でも、周囲がトランス状態ばかりで、その中で誰に何を言われようとも個人の価値観を通せますか」。
何故、素直に流石ですねで終わらないのかという顔をした。でも、きっと自分なら大丈夫、だと。
「では、こちらから質問です」今年のGW明けからマスクの脱着は個人判断に委ねられましたよね。あなたは即座に外して街に出ましたか。もし違うのなら何故ですか。まだまだ感染リスクが怖いからですか、と。
黙ってしまった。他人の視線に関係なく、見た目以上に病弱とか、一応の芸能人気取りなのでとか返してくれれば話は続くのに。
こうして失せモノならぬ、人が失せて行く。まあ、別に構わぬ。屁理屈も理屈の一種。
どうせそのうち、こちとらも泡と消えるしな。とはいえ、壁付けのプッシュ式のソープも久しく見てないな。確か、ソープとシャンプーでセットだったか。それともリンスと3種類で一体か。
さて、暫く振りに確認に行くか。沖縄まで。あっちは梅雨も明けたし。
でも、暑そうなんだよな例年以上に。