スタッフ
監督:サム・ペキンパー
製作:フィル・フェルドマン
脚本:サム・ペキンパー、ウォロン・グリーン
撮影:ルシアン・バラード
音楽:ジェリー・フィールディング
キャスト
ビショップ / ウィリアム・ホールデン
エングストローム / アーネスト・ボーグナイン
ソーントン / ロバート・ライアン
サイクス / エドモンド・オブライエン
ライル / ウォーレン・オーツ
テクター / ベン・ジョンソン
マパッチ将軍 / エミリオ・フェルナンデス
エンジェル / ジェイミー・サンチェス
コファー / ストローサー・マーティン
日本公開: 1969年
製作国: アメリカ フィル・フェルドマン・プロ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
訳アリのアメリカ人が隣国メキシコに行って「やらかす」話。今回は強盗グループのまさに挽歌を謳い上げたサム・ペキンパーの渾身作。
アメリカ、テキサス
メキシコとの国境の町にある鉄道事務所。そこに多額の銀貨が保管されているとの情報を得たビショップ(ウィリアム・ホールデン)を首領とするグループが押し込み強盗に入った。
しかし、それは鉄道会社側の罠で元パイクの仲間だったソーントン(ロバート・ライアン)ら、賞金稼ぎグループが密かに銃を向けていた。それに気付いたパイクは偶然外を通りかかった禁酒運動のデモ行進に紛れて脱出を試みる。ところが賞金稼ぎグループが発砲し、民間人を巻き込む殺戮騒動となってしまう。
仲間を失いつつもパイクらは逃亡に成功するが、奪ったものは銀貨ではなく「ワッシャー」で仲間らは激怒。しかし、すぐに鉄道系は狙えないと踏んだ彼はメキシコに入り、次の策を考えることにした。一方、ソーントンらも大失態から命懸けで捕まえろと厳命されメキシコまで追っていくことになる。
そんなメキシコでは政府軍に対する革命軍との戦闘が激化していて、マパッチ将軍(エミリオ・フェルナンデス)は武器不足から、アメリカ陸軍の軍用列車襲撃を画策していた・・・
西部劇そのものへの挽歌を絡めた男たちの末路。
アメリカで襲撃強盗を繰り返して生き延びてきた中年男を筆頭とする野盗団。
そんな主人公と親友ながら被弾逮捕を切っ掛けに、無理矢理鉄道会社に雇われ追手団を率いることを命じられた中年男。こちらも野盗団以上に野蛮で統率が取れない。そして一番野蛮なのはメキシコ政府軍という構図。
主人公の仲間にはメキシコ人の貧民がいて政府軍への反感が半端ないのもいる。しかも恋人が政府軍の将軍の愛人に嬉々としてなったと知りショックを受ける。
誰も彼も複雑な人生を背負っている設定。そこに持ってきて政府軍から主人公らに米軍用列車の襲撃をしろと依頼される。
結果、登場人物ほぼ全員が悪党である。一方で正義の味方である米陸軍はマヌケそのもの。
橋の爆破や列車の脱線という派手なアクションもあり、登場人物のキャラも立っている。
王道な筋運びでありながら、そこはサム・ペキンパーである。戦闘場面はスローモーション撮影による様々なショットを絶妙の編集で見せてきて、何ともヴァイオレンス感と人間の薄幸感を際立たせていく。
それはどの戦闘シーンでも繰り返されるが、ラストのアクション場面は映画史に刻まれる派手さである。
しかもまるで東映の仁侠映画そのものであり、当時の日本人は主人公らが高倉健や鶴田浩二に重なったことだろう。
つまり日本人の大好きな静かに降る雪模様、もしくは正反対の桜吹雪的な派手な散り際の美学に通じる。それを日本人的美意識と違って、妙に泥と汗に満ちた独特な『臭い』を発散させてくる作劇。
冒頭での子供たちが小さな柵内にサソリと大量の蟻を入れ殺し合いを楽しむ笑顔や、メキシコの寒村で痩せすぎの野良犬を登場させたり、常に人間の残虐性と生への執着と、それが嵩じての欲望と飽くことがないという負のスパイラルを提示してくる。
そう描いて来てのラストでの主人公らの「あうん」の呼吸での死への諦念に人間としての限界と絶望感を浮かび上がらせる。
そういった中で、常に追手でありながら主人公らのグループに戻りたいと憧れを持ちつつ、付かず離れず一定の距離感を保つロバート・ライアンの存在が「遅れた人生」で、何ら昇華も鬱憤も発散できない立場こそ、ペキンパーが大好きな西部劇、もしくは学力のない未教養の人間たちへの哀悼の意でもあり、でも、大好きだと声高に謳い上げる。
ある意味で、最高到達点であり挽歌でもある。
本作後も手を替え品を替え、何作も輩出していくが、結局ペキンパーの声高なる表現は何ら変わらない。
派手さの中の寂寥感と静かさの中の孤独感とどちらの作品が好きかは観る側の感性に委ねられるが。