余談雑談 2023年8月5日

言葉や言い回しは変化し続けている。

チョイ古や前時代的な流行語が好きな自分。浮かぶのは「デカンショ節」とか、「アプレゲール」やら「チョベリバ」といった『音』の印象で残るもの。

「デカンショ節」は元来、丹波篠山の民謡だが、哲学者のデカルト、カント、ショーペンハウエルを指し、昔の大学生は半年は哲学といった難しい勉学に勤しむが、残りの半年は遊んで暮らすという歌。

「アプレゲール」はフランス語だが、日本では戦後に若者たちが無軌道な犯罪を起こしたことを指す言葉で「あきれ返る」をダジャレ的に「あきれけーる」と使用されたりもした。更に単独犯から集団に移行し「愚連隊」なる言葉に発展していった。今だと『半グレ』、『輩』とか呼称するか。

「チョベリバ」は1990年代に女子高生が使用した造語で『超ベリー・バッド』で最悪を指す。

実に多種多彩に変化してきている。『新語・流行語大賞』でその年の一覧が解るが、ほぼ消えて行く言葉が圧倒的だ。

昨今で、自分が妙に違和感を覚えるのが「20歳」を「ニジュー」と呼ぶ人が多いこと。「ハタチ」ではないのが時代の流れか。

となれば「タチハ」という呼称は通じず昭和の遺物。これは芸能界用語が発祥なのだろうが。中途半端に言葉を逆転させ、仲間内のみで符丁の如く使用して「同じ穴の狢」としてギョーカイ内特別意識を持つ。これは音楽業界、河岸、寿司屋と様々な業界で一般人と区別するための暗号的使われ方をしていた。

なので寿司屋で通ぶって「あがり頂戴」なんぞ言おうものなら「お茶ですね」と言い返された。支払の場合の『お愛想』も同じ。これは店側が金が入るから笑みを浮かべろから来ていると昔に本で読んだことがある。

恐る恐るその件を昔堅気の職人に尋いてみたら『俄か紳士』とか『田舎者』と心で笑ってましたと。どちらもどちらかもしれないが、日本らしいといえばまったくもって日本的でもあろう。

確かに昔から年齢に関する呼称は多いが、これも変わっていくのだろうな。「喜寿」「米寿」などは「77歳」と「88歳」という『ゾロ目』で、これは日本発祥の表現。中国由来が「還暦」「古希」といった区切りの良い10歳単位。

今後、寿命が延びて行けば「ニジュー」と普通に呼称する人たちはどんな表現にしていくのだろうか。きっと、言葉自体が減っていくのかもしれないな。幾つもの表現があるより簡単な方がラクだし、見えぬ行間を読め的発想は忌み嫌われるんだろうな。

今じゃ言わなくなったが、「ロハ」って言葉を知っている人はどの程度いるんだろうかと思い浮かんだ。これは、どちらかと言うと「米寿」に近い言葉で『漢字を分解』系。米寿の『米』をバラせば「八」「十」「八」と書ける。それを前提として『ロハ』は「只」。ただし、音だけ同じことから「無料」を指す。

大好きな言葉なんですがね。もっと言えば「あご、あし、まくら」。これも昔の寄席芸人から派生した言葉。食事、交通費、宿泊代を先方で持ってもらうの意。

今でも夢だな。尤も、慈善事業とか自分が超二枚目とか有名人でなきゃ、そんなには奢って貰えないし、逆にどんな「下心」とか「どんでん返し」が待ち受けるかと心配にもなる。

何たって、自分如きは「ロハ者」ですから。

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