御巣鷹山事故から丁度38年。
当時を知る一人としては、どうしてもこの時期、記憶を呼び起こされる。
以前にも書いたが、扇動的報道云々よりも、当日、羽田空港で他社のグランドスタッフをしていた地元の後輩女性、その彼氏だったフリーの映像カメラマン、こちらは又聞きだが現場まで登山させられた医師の話。
生々しい話を聞いたことが嫌でも思い出される。確かにそれを超える航空事故は発生していない。しかも今でも慰霊登山をする人がいる。それほど遺族や関係者には心の重荷になっているのであろう。
後に横山秀夫により「クライマーズ・ハイ」として出版され、TVドラマと映画化もされた。それとは別角度での話だったので何とも言えぬが、自分としてはかなり衝撃を受けたのも事実。
生で体験した人たちはトラウマになっただろう。それほど衝撃的であった。医師以外の二人は当時20代前半。今は両名とも縁が切れているので知る由もないが、やはり当日となると思い出すのだろうか。
乗っていた人たちは不運としか言いようがない。どんな運命の采配だったのだろうかと。乗客の一人だった有名歌手は、いつもは他社系。グランドスタッフから直接聞いたのは、その人はジャンボ機の2階席のみの乗機客で社内では有名。
ところが当日はジャンボ機ではなく、いささか小さめの機体で完全満席状態。そのことを連絡してきたマネージャーに伝えると暫く後に電話が入り、向こうはジャンボで席が取れたと伝えてきたとか。
お盆の大移動の時期。機材やりくりの問題かもしれぬが、もし他社がジャンボだったら、その歌手は乗機してなかった。
これも他社便の話だが、当日北海道からの乗客で羽田乗換え大阪までという人が多くいて、本来は同社便での継続が基本だが、無理だと確定していた。それでJALに依頼して、パッセンジャーたちに他社便に変更で申し訳ありませんと謝りながらチケットを渡し歩いた一人が地元の後輩。その乗客ら全員がどうなったのかは周知の事実。
更に他社系社員二名の話。そのグランドスタッフが慌ただしく働いていると大阪勤務の先輩に突如呼び止められた。「良かった。悪い、明日早番なんでどうしても今日中に大阪入りしないといけないんだ。社員チケットがあるんだけど」と差し出したのが効力の一番弱い種類。「何で、これしか持ってないんですか」とそれでも先輩なので無理矢理押し込んでその人は生きた。
もう一人は同期入社の友人。その人も大阪勤務で、先輩同様翌日は早朝出勤。その上、業務用最優先チケットを持っていたとか。それでも、まだ新人だったし顔見知りに会わなかったから諸先輩のグランドホステスに当たり前のように依頼はできず、定価運賃を払い123便に乗った。もし先輩でなく、同期だったら何の問題もなく乗機させられたのにと悔しがっていた。
まさしく運としか言いようがないじゃないか。これを分けたものは何なのだろうかと何度も考えたが結論など出ない。やはり『運』、もしくは『性格』。
強運になる法があるのだろうか。これらの話はドラマ用の創造でなく事実。間違いなく全員にそれぞれの人生なり、ドラマがあったであろう。それが偶然同じ機に乗ってしまう。逆に乗機しなかった人もいるだろうし。
自分の不注意なり思い込みで起こしたり、巻き込まれたりする交通事故とは全く違う。
やはり運命の巡り合わせか。だとすると自分はそれなりの「強運」だと思うが、どこまで続くのかとは不安になる。だって、大した善行も積んでないし。
まあ、この時期、嫌でも渋滞や高額覚悟で外出移動しなくて良い人生だっただけでも幸運だろう。海外は諦めたが、国内なら安い時期に旅行にも行ける。それでも乗機時は今でもおまじないをかける。どこまで効力があるのかは謎だが。
もしかしたら運を小出しにしてるのか。それにしてもラッキーだ。だって、この時期の心配はランチ外食と夕方飲みだけなんだから。
何て小さな人間なんだろう。