シベールの日曜日 – CYBELE OU LES DIMANCHES DE VILLE D’AVRAY(1962年)

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スタッフ
監督:セルジュ・ブールギニョン
製作:ロマン・ピネ
脚本:S・ブールギニョン、アントワーヌ・チェダル
撮影:アンリ・ドカエ
音楽:モーリス・ジャール

キャスト
ピエール / ハーディー・クリューガー
フランソワーズ / パトリシア・ゴッチ
マドレーヌ / ニコール・クールセル
カルロス / ダニエル・イヴェルネル
フランソワーズの父親 / ルネ・クレルモン
ベルナール / アンドレ・オウマンスキー
ルル / フランス・アングレード
食料品店主 / ポール・ボニファ
警官 / モーリス・ギャレル

日本公開: 1963年
製作国: フランス、オーストリア テラ・フィルム作品
配給: 東和


あらすじとコメント

「ハタリ!」(1962)に出演したドイツ系俳優のハーディー・クリューガー。それと同年に製作された、まったく毛色の違うドラマを選んでみた。気高くも気味悪さが伴うという稀有な秀作。

フランス、パリ郊外

第1次インドシナ戦争で現地少女を射殺してしまったと思い込み、その後撃墜され記憶喪失になった元空軍パイロットのピエール(ハーディー・クリューガー)。未だに少女の顔が甦る悪夢にうなされる日々。

恋人のマドレーヌ(ニコール・クールセル)が献身的看護を続けるが、どこか上の空であり、それは友人芸術家の心優しき対応にも今一つ心を開かない。まさに「生きる屍」であり、それでもマドレーヌらはあきらめなかった。

ピエールはすることもなく田舎町を彷徨うように歩くのが趣味のようだ。ある夕方、彼は一人の少女と出会う。彼女の名はフランソワーズ(パトリシア・ゴッチ)で・・・

純粋なる心の交わりを鳥肌が立つほどおぞましく描く秀作。

戦争で頭と心に深い傷を負った青年。どうにも無感覚で感情すら忘れているようだ。献身的に尽くす心優しき恋人や友人もいるが、普通の心は取り戻せていない。

そんな青年が小さな女の子と知り合う。その子は寄宿学校に居て、実は親に捨てられて入校していることを知っている。

当然、彼女も孤独。その二人が知り合うことにより気色悪い程の「純真無垢」な感情が互いの間に芽生える。

彼らは毎日曜日の外出日に親子と偽って一日を楽しむようになる。それが今までの孤独の穴埋めとばかりに。

しかもそこには、あくまでも大人のヤらしさや性的興味は存在しない。何故なら、青年も完全に大人であることを放棄した存在ゆえにだ。

しかし、恋人や友人以外の周囲はそれを信じない。それが大人たちの「常識的価値観」であるからだ。

純真さを忘れた大人が意識せずに「不純」な視点で見ると何を感じるのか。

自分の初見は中学生だった。ある意味、多感な時期であり背伸びしたい成長期。その時のショックは忘れられない。

素直に観られなかったのだ。つまりロリコン的視点と発想に偏った。そのいびつな視点が解消されたのは、ある程度の経験値を積んでからだった。

完全に『水墨画』を意識した白黒画面は名撮影監督アンリ・ドカエの代表作の一本。そして抑えたモーリス・ジャールの音楽も冷たさを際立たせて秀逸。

イメージ的には地味な小品ながら、これぞ『大人のフランス映画』という、観る人間を選ぶというか突き放す冷たさと不思議さを痛感させてくる。

そして本作の恐ろしさは、青年の回復性ではなく、少女側の人間性の覚醒。静かな池に小さな一石を投じると環が幾重にも拡がっていく態にも似ているが、例えばそこに何を感じ、何を見いだすのか。タイトルにもある「シベール」は何を意図し、意味するのか。

何とも互いの心の解放が別な恐怖を喚起させていき、それがラストにどう着地するのか。背筋が凍るほどの人間の脆弱さと、人間的回帰は決して人々を幸福にはしないという恐怖さが最後まで付きまとい続ける秀作である。

それも観る側の感性に委ねられるのだが。

余談雑談 2023年11月18日
秋嵐の後の小春日和。 まさか酷暑の名残じゃあるまい。特にここ数年は秋の短期化を感じるし、今年は秋自体が吹き飛んだ気もするが。 その「小春日和」ってのは、今頃しか使ってはいけないと知ったのは少し前。昔は学の足りなさから、冬の終わりを感じさせ、