テレビで『すす払い』の報道を見た。
もう、そんな時期か。今年は某寺で床を自動で掃除してくれる便利なロボット型家電も使用され、些か驚いた。
まあ、それに刺激されてこちらも大掃除開始などと思っても、俄かにはスイッチが入らない。そもそも日常生活でも運動不足から筋力が落ち、上の棚にあるものの上げ下げが苦痛になっている。日常からこうでは意気込めない。他には天井の照明器具もイスに上って掃除だが、足元もおぼつかず危険が伴うので敬遠しがち。こうやってすぐに否定形が浮かぶ始末。
それにゴミ捨ても分別もどの程度かとか、旧型扇風機は粗大ごみで金掛かるよなとか。車も持ってないから、夜中にコソっと空き地に捨てにもいけない。便利家電なども絶対に買わないから古いモノの処分だけの問題なので、まだマシかもな。
そんなことからかなり昔の大掃除を思い出した。60年程度前、祖父母が健在で両親は仕事なので、ほぼ預けられた状態で生活しており、大掃除には孫の自分も狩りだされた。そのときに昔の木製冷蔵庫を捨てることになった。昭和30年代に「三種の神器」と呼ばれたひとつの電気冷蔵庫を買ったからだ。
今時、どれ程の人が木製冷蔵庫なんぞを知っているのだろうか。片開き式で中にトタン板が貼られ、数段に分れており、上段にバットを置き氷塊を入れる。溶ける過程で乾燥を防ぎ、すぐには腐らせない程度の仕組み。
今と違い分別などない時代。大人たち数人で外までだし、家の前に置いた。粗大ごみを回収にトラックが来てくれるからだ。すると、見知らぬオジサンがやって来て、これ捨てるなら貰って良いかと祖父が尋かれた。
名刺を見せて貰えたが、日本橋浜町にある有名な芝居小屋の大道具の人で、舞台で使うものを探して歩いていると。丁度、ウチの粗大ごみが具合が良い大きさだと。何でも、昭和初期の家具など下町の大掃除の時期に廻るのが最善策と言っていたとか。まるで今の掘り出し物市とか、ボロ市に近いか。しかも無料で手に入るし、完全機能しなくても大道具使用だから問題ない。
祖父も親父も自分の家の冷蔵庫がやがて有名俳優に使われているかもと笑っていた。幼少時代だが、夏と冬で、わざわざ氷を何貫目お願いと氷屋に注文に行かされた思い出もある。考えれば豆腐屋や肉屋あたりへのお使いも自分の役目だったっけ。
スーパー以外で何でも町内で買い物ができた時代。それにしても氷屋ってかなり早くになくなったな。
粗大ゴミで処分するかと逡巡している扇風機。確かにリモコンもなくスイッチ部分が剥がれて小さな金具ボタンがむき出しだしになったから指で直接押すと痛いので処分対象にした。でも、ちゃんと動きはする。
もったいない精神が優先で課金嫌い。何だ、そのスイッチ部分に絆創膏を貼れば痛くないじゃんか。傷口に当てるクッション部分で簡単修理。貼るべきは指でなく扇風機だと思い浮かべた自分はまだボケてないなと微笑んだ。
捨てるべきは便利さ優先の価値観かもしれないな。まあ、絆創膏で処理できる程度でね、てか。