今回の都々逸。
「行きに寄ろうか帰りに寄ろか ならば行きにも帰りにも」
以前は『往復ビンタ』と揶揄された同一飲み屋へのハシゴ酒。間違いなく、料理や酒が旨い小料理屋でなく、女性が接客してくれる類の店だろう。
今やその「往復ビンタ」は暴力行為だし、言いかただって乱暴すぎるだろう。つまり今のご時世、昔みたいに格好付けて飲み歩いたりせず無理すんなよと変換できるか。
まあ、店側はあの手この手で何度でもおいでと言いたいだろうし、同系の他所へ行くなら、やはり全部自分の店へが本音だろうか。
客の方としては同系他店へ行くことを何とも思わず、素直にあちこちに行ける身分の自分と発信しているかもしれないが、それじゃモテませんぜと教えたくなる。否や、その客も駆け引きとして他店へ行かせたくなきゃ、もっと自分にサービスしろという手管なのだろうか。
どの道、自分には関係なくなった世界。そもそも昔の映画じゃないが、自分が憧れた異性のいる店は、究極は銀座のクラブ。まだまだ若僧でデビューは早すぎると諸先輩からお叱りを受けた時分、きっと恐ろしく美人のママなりホステスさんが接客してくれるのだろうと目を輝かせていた。
ただ、やはり教えというか、しきたりを事前に叩き込まれたっけ。往年の銀座界隈ではママではなく『マダム』。じゃパパはっていうと『パトロン』と呼称だとか。成程、夢を見させて大枚はたかせる場所。確かに一般家庭でも「ママ」「パパ」は普通に使っていたし、高い金使わせるのに現実と同じ呼称じゃ夢も冷めるわな。
しかも今は「ジィジ」に「バァバ」だと。目に入れても痛くない孫が発音しやすい言葉だし、一刻も早く認知させるために広まったイメージ。言われりゃ、間違いなく財布の紐はゆるむ。
これが「ジジイ」に「ババア」だと真逆だ。確かにこの言いかたじゃ言葉の暴力になるのが現在。単語ひとつや言葉尻ひとつで問題発生の世の中。
そんなにその店が好きならば行きも帰りもなく、居続けたらどうでしょうか。時間制がない店ならば、それも手か。でも、ならば大枚はたかないと嫌な客だ。
それに昔はモテようと頑張っても独り相撲でこうも言われたっけ。『行きがあっても帰りがない』。これはですね格好付けて「粋がって」も「返り」、つまりリターンがないですよという意味。
所詮、モテない奴は何やったってモテない。だからマダムから行きも帰りも金使えって、にこやかにささやかれて撃沈な訳ですよ。
そうしたら数年振りに未だに銀座勤めのヴェテラン・ホステスさんから連絡が来た。店を移りましたの御挨拶。まあ、一斉送信だから問題ないが、直後に電話着信で驚いた。「絶対に行けないぜ」と即答したが笑われた。「知ってるわよ。久々なんでクリスマスのグリーティングカードがわりよ」だと。
だけど、そんな言い回しでも妙に懐かしさを感じるからまだまだ、どこかで青臭いんだよな。おごりなら毎晩でも行くんだけどさ。