スタッフ
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
製作:ジュゼッペ・アーマト、アンジェロ・リッツオーリ 他
脚本:チェザーレ・ザパッティーニ
撮影:G・R・アルド
音楽:アレッサンドロ・チコニーニ
キャスト
フェラーリ / カルロ・バッティスティ
マリア / マリア・ピア・カジリオ
アントーニア / リーナ・ジェナッリ
間借女性 / イザベッラ・シモーナ
隣の入院患者 / メンモ・カローティヌート
看護師 / エレーナ・レア
アントーニアの恋人 / アルベルト・アルバーニ・バルビエーリ
バティスティーニ / デ・シルヴァ
通行人 / ウンベルト・マッジョラーニ
日本公開: 1962年
製作国: イタリア ディア・フィルム作品
配給: イタリフィルム
あらすじとコメント
イタリアのヴィットリオ・デ・シーカ。演技も監督もこなす名匠である。今回は『ネオ・リアリズモ』と呼ばれるイタリア独特の表現で描く孤独な老人の絶望的な状況を見せつけてくる残酷な秀作。
イタリア、ローマ
長年小役人を勤め上げたフェラーリ(カルロ・バッティスティ)は少ない年金に閉口し老人仲間らとデモに参加した。しかし無届行進ゆえに警察に追われる羽目になった。
真面目に静かに生きてきた自分。家族はなく雑種の犬一匹と生きている。それなのにこの歳になって何故このような仕打ちを受けるのか。
彼が長年住んでいるアパートの女主は家賃滞納で今月中に出て行けと執拗に言ってくる。しかし、そんな金などない。それでも懐中時計や書籍を売って小銭を作るが、主は全額一括支払い以外に受け付けないと冷たく言い放つ。
そんな彼にはアパートの若い女中マリア(マリア・ピア・カジリオ)だけが主の眼を盗み優しくしてくれる。だが、彼女は二股交際の片方の赤子を宿している。彼女もそれが知られれば解雇になる。
どうにも八方塞がりだが、それでも彼は諦めず金の工面に走り回るが・・・
孤独な老人の絶望的な余生を描くネオ・リアリズモ映画の秀作。
「ネオ・リアリズモ」は第二次大戦後に生まれた芸術運動で、市井の弱者たちが虐げられる姿を描くリアリズムに満ちた作品群を指す。ロケを多用し、無名俳優に演じさせドキュメンタリー要素を強調し、市井の人間たちの生活苦を描く作品が多い。
本作の主演カルロ・バッティスティはフィレンツェ大学の言語学教授であり、俳優経験はない。しかし、その見事なる表現力には舌を巻くしかない。そして子供と小動物には敵わないのセオリー通り、本作でも雑種犬の存在が非常に大きい。
ただし、これらは「イタリア人」であることも大きいと思う。つまり素人の誰もが表現者としての素質を持っているからに他ならない。
黒澤明もこれらの作品に影響され「トラ・トラ・トラ」(1970)では職業俳優ではなく素人を主役に起用した。しかし、結果は降板して自殺未遂を起こすことになる。やはりラテンの血が素人の域を超えるのだろうと強く感じさせる。
しかし、それにしても本作の絶望的な悲劇性は見事である。付かず離れず一定の視線で冷徹に現実を追っていく視点。小官吏だった老人はイタリア人らしく大袈裟な主義主張をせず地味に、それこそ小役人として静かに生きてきたに違いないと感じさせる。そんな中でもプライドがあり、それがマイナスに働いても自分を簡単には変えられない。
一応先のことを考えて行動に移すが、ことごとく失敗し、それは愛犬にも伝播していくからつらくて見ていられない。
まるで呼吸することが痛いと感じさせ、何かしら若干の幸福を感じさせる展開もなく、搾取される側は一生その呪縛から逃れられない。
まさに「心が痛い」と感じさせる絶望的な状況の積重ねで迫ってくる、これぞネオ・リアリズモと感じさせる秀作。