余談雑談 2024年2月3日

異常なほど暖かった1月の日本。

確かにそう感じた。窓越しの晴天の空を見上げて、たまには散歩なんぞをしてみようと思うこともある。何せ運動不足を自覚しているし。

ただし、心を削ぐのは居住場所が有名観光地であること。散歩というかウォーキングは一定のリズムを保ち30分程度は歩くのが良いらしい。なのでメイン地帯は通行不可。

で、幸いなことに地元には大川が流れていて、昨今は随分と周辺環境の整備もされ両岸が遊歩道になり、長く散歩道として活用できる。そこなら良いんじゃないか。

とは思っても、いきなり長距離は無理だし、ただ何も考えず歩くのも性格上苦手。ならばと理由付けを考えるのが悪い癖。

自室から北上した場所に親父さんが独りで切り盛りする単品勝負の食べ物屋がある。いつもは最短距離で徒歩か、もしくは区内循環100円バスで向かう。そこに行くのに少しだけまわり道して川沿いから行ってみるかと。

流石に川端まで降りると風は冷たい。ゆるくカーブしている川は、成程、東京のブルックリンと呼ばれるだけあって素晴らしい景観でもある。ジョギングや犬の散歩、スマホで撮影などしている人たち。

北上していくと昔の『山谷堀』水門跡がある。自分が子供の頃はまだ残っていて、臭くすえて淀んだ匂いが充満する汚い掘割だった。今は遊歩道に改造され桜並木になんぞなっている。

かなり以前は神田川が隅田川に入る「柳橋」に花街があり、「柳橋から猪牙に乗って」なんぞといわれた「首尾の松」があった近く。これは猪の牙に似た小さな船に乗って隅田川を北上し、山谷堀から「吉原」に繰り出すことを読んだもの。つまり吉原行の水路だった。尤も、こんな粋筋の話は今や観光名物になった人力車の若僧あたりじゃ説明するまいが。

その掘割跡のすぐ先に区営の体育館がある。そこから上がってみた。驚いた。その一帯だけ昔の公園の境界に沿って古い石柱が残っていた。

築60年の自室が入る老朽ビルの真下の公園部分も当時はこの石柱だった。ところが公園部分は再整備が何度も行われ、桜の花見で大宴会がそこかしこで繰り広げられた時代から、敢えて宴会が出来ないような作りに変貌してきている。確かに近隣住民からすれば大迷惑であった。

その石柱が古いまま残っており、小学校時代に変更になったのか記憶が定かではないが、こんなに低かったとかと懐かしく思い出した。何でこのゾーンは無変更なのかと思いながら、さらに北上。

縁結びで有名で女性宮司がいる神社から、昔は些か物騒だった「山谷」地域に入っていく。流石にこの辺りはインバウンドなり、若い女性たちの姿は消える。

そして目指す店に行き、大瓶ビールを注文。ツマミにタクアン4切れがサービスで付く。メニューは体調を崩して長期休んでから一種類のみになり、盛りの大小で決める。

やはり暖かい1月。昭和の名残とリバーサイドはブルックリン。粋筋なんぞ死語になったねと思いを馳せた。

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