雨上がりの駅で – COMPAGNA DI VIAGGIO(1996年)

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スタッフ
監督:ピーター・デル・モンテ
製作:エンツォ・ポルチェッリ
脚本:P・D・モンテ、グロリア・マラデスタ、C・スパリジア
撮影:ジュゼッペ・ランチ
音楽:ダリオ・ルカントーニ

キャスト
ジュスティ / ミッシェル・ピコリ
コララ / アーシア・アルジェント
ペペ / リーノ・カポリッキオ
アダ / シルヴィア・コーエン
ジュリオ / マックス・マラテスタ
ファビオ / セバスティアーノ・コッラ
ジュリオの息子 / アントーニオ・カリア
ラウル / ジェルマーノ・ディ・マッティア
美容師 / エリザベッタ・ロケッティ

日本公開: 1998年
製作国: イタリア アルタ・フィルム、ルーチェ作品
配給: アルシネテラン


あらすじとコメント

今回も老人の話。しかも痴呆症の。絡むのは19歳の少女で、いかにもイタリアらしいロード・ムーヴィー。

イタリア、ローマ

バーに勤めてはいるが知り合い宅を泊まり歩くような刹那的にしか生きてないコララ(アーシア・アルジェント)。

ある日、オーナーのアダ夫人(シルヴィア・コーエン)に呼ばれ、元大学教授で最近アルツハイマーを発症し徘徊が始まった父ジュスティ(ミッシェル・ピコリ)を尾行して問題がありそうなら報告してと依頼される。

翌日から彼女の尾行が始まった。彼は突然バスに乗り郊外にいってみたり、翌日はまた別なバスで移動する。当初こそ面白半分であったが、ある日、長距離列車に乗ってしまう。

コララも携帯で夫人に連絡を入れつつ、こんなことは初めてだと列車に飛び乗って・・・

痴呆症の老人と彼を取り巻く若者たちのほろ苦いドラマ。

自由が尊重され個人の責任において身勝手な言動を取っても完全否定はされない文化。しかし、それが言語学の教授を務めた紳士的老人ならどうなるのか。

それでも意志があるのかないのか分からぬ老人相手に、ヒロインを含め他人は何を感じ、どう言動するのか。

底流に流れるのは『個の尊重』。真面目ゆえの痴呆症になっても最低限の挨拶なり相手への感謝を忘れない。

しかし、昨日会った人間のことも覚えていないと、若い側はどう感じるのか。しかも相手は若者特有の刹那的で場当り的な女性。

尾行を続けて行く間に自分の発見があるのか。逆に老人の病気の進行はないのか。予測不能な行動を取り、それを冷静に見つめて行くうちに何か少女にも変化が起きるのか。

その変化がもの悲しい。自己があるようでない若者。自己はあったはずだが忘却している老人。そのコントラストが、さして劇的進行を遂げないのに胸を打つ。

ただし、起伏もなければイタリアの田舎町の何てことない風景の中で淡々と付かず離れずの二人の関係同様にカメラが追っていくだけだが。

多感な年齢ゆえに刹那的から何かを見いだすのかとかという分かりやすい説明的進行はない。そこがヨーロッパ系映画の観る側にも、それなりの感性なり人間的成熟を当たり前のように要求するので途中棄権したくなる人も多いだろう。

尤も、その手の観客は初めから本作のような作品はチョイスしないとも思うが。

内容よりも、地味な田舎町で観光名所などではない、間違いなく一生訪れないであろうローカルな場所を住人のように見つめられる点では面白いかもしれぬ。ただし、あくまでも同国人でありながら見知らぬ地方の『異邦人』としてではあるが。

フランス人俳優であるミシェル・ピコリの絶妙なる存在感に鳥肌が立ち、決して美人ではないヒロインのアーシア・アルジェントの透明感も、妙なヤラしさがあり後ろ髪を引かれた。

ただし、何てことない作品だと感じる人の方が圧倒的だろうが。

余談雑談 2024年2月24日
やっぱりな。 三ヶ月先までの天気傾向が発表され、高温傾向だとか。そらみろ今年も猛暑決定じゃんかよ。TVでは、このところの寒さに対して、早く暖かくなると良いですね、春が待ち遠しい寒さと。個人的には相容れないタイプの方だな。きっと喉元過ぎれば不