春は来てるのか、どうなのか。
何だか三寒四温の逆パターンのような天候。かといっていきなり暑くなるんだろうなと想像は付く。秋同様に春も二、三週間程度。それでも来るもは来る。
そして来週には13回目の3・11を迎える。今年は元日にも地震の悲劇に襲われた。これは来るには来るにしても減少傾向の方が有難いと切に願う。
とはいいつつ、大きな震災が起きると不謹慎にもいつも頭をよぎることがある。それは人間の「運の強さ」だ。一度起きると何千人もの死者が出る。毎回思うのは、直後の犠牲者の中に、誰もが知る有名人がいないこと。元旦の時も同じだがTVや大手メディアは相も変わらず悲劇面の煽情報道ばかりだから、有名人が居れば大々的に放送するに違いない。御巣鷹山に墜落した飛行機に搭乗してた歌手の時も大々的に特集を組んでいた。
それ以降、第一波で犠牲者にいないのはまさに強運だからこそだろう。ゆえに数少ない有名人になれるのだろうか。
その中でも一番印象に残っているのは仙台出身の漫才コンビで初めは反社系の漫才が売りで、某有名コンテストの敗者復活から勝ち上がり優勝を果たしブレイクした。現在でも好感度が高い。
彼らは3・11時、奇跡的に生き残り、TV局の掛け持ち出演しいかに悲惨だったかの話を何度も繰り返させられていた。決まってそのときは悲惨な悲劇的画像が被さるので嫌な気分になったが、生放送中に連絡の取れない人が集う各避難所の方々の顔を写してもらえないかと懇願した。もしかしたら知り合いなどの生存確認が出来るからと。
その時にそのコンビは『語り部』として生き残らされたのだと直感した。強運と、売れたイメージの反社的風貌とは真逆の発言。幾多の訳知り評論家や学者よりも力強い存在だと感じた。事実、以後の報道に一石を投じたと思う。
これだけ寒暖差があり体が悲鳴を上げる。それは自室にいてものことだ。非難所、仮設住宅ならどれほどなのだろうか。生きているだけで見っけもんなのか。温まりきらない部屋の中でそう思う。それでもリモコンひとつで調整はある程度可能ではある。ガス湯沸かし器だってトイレの照明だって同じ。
でも、移り気な国民と認識している大手各局の発信側は様々な話題を提供し続ける。で、スマホ同様、進んで探しに行かなければ正月の地震の報道もほぼ見なくなった現状。ただし、3・11に合わせて多くなるだろうと推察は出来る。
三寒四温は「季節は単純には進まない」の意とも取れる。それでも進むものは進む。体だって嫌でもついて行かないと生き残れない。そこでまた少し明るい発想に転換してみる。現在のように、じらされれば人間同様に今年の桜は綺麗に長持ちするかもしれないな、と。
だが、直後に脳内再変換。桜だって新たに植えた場所以外で、いにしえから有名な場所は血生臭いことが起きた跡地が多い気もする。昔も書いたが、やはり何かの因果だろうか。
でもフーテンの寅さんじゃないが、櫻が気になるのなら「二階の女が気にかかる」であってほしい。
暖かくなれば固まった脳みそも少しは溶けるのかね。