また一軒閉店した。
数少なくなった行きつけで、元々は中華そばとカツカレーの店。場所は元労務者の街「山谷」の外れで、親父さんが独りで切り盛りしていた。
数年前に病で倒れ、何とか復帰したが中華系は完全にやめてカツカレー専門店になった。考えたらその時ぐらいからこちらもある程度の覚悟を決めていた。
その時に近隣で新規開拓を試みて、カウンターだけの中華定食屋を発見したが、ビールが中瓶で650円。カツカレー屋は大瓶で同額。徒歩で3分と違わない場所にあるのにも関わらずだ。かなりマイナスな印象だった。
確かに場所柄午前中から酒を飲む人種が多いし、中には「からみ酒」の輩も多い。それでもそんな場末でその金額は酒を飲ませたくないということだろう。中瓶一本では物足りなさを感じるし、2本飲んだら割高。
ただ面白かったのは「焼肉ライス」があり注文すると「ニンニクにしますか、ショウガにしますか」と尋かれる。客に味付けを選ばせるのねと微笑んだ。だが、カツカレー屋が再開して行かなくなった。
この店は以前も書いたが、夏の時期に暑い思いをして徒歩で行き、ビールとスパイスの利いたカレーを楽しむのが格別であった。
食品衛生管理者の許可認定者の名前が当時の都知事であった美濃部亮吉。定席の上に提示してあり、それを見ながらビールを飲んでカツカレーを待つ。横には引き戸の曇りガラス窓。差し込んで回すネジ式の施錠スタイル。昭和の残り香しかない店。
確かに見るからの不健康そうな親父さんで店内も掃除などしていない態で汚く、特にトイレなど驚きで、食べ物屋で流石にこれは如何かと思わせた。つまり公園の公衆トイレと同レベル。善意で解釈すれば、体調が悪く脚も引き摺り、恐らくはしゃがんだり屈んだりが出来ない。独りで切り盛りだし、営業時間だって4時間程度だろう。厨房は怖くて覗けなかったが、推して知るべし。カツカレー喰って、すぐに退散すればトイレを使用しないし問題はなかろうと好意的変換。
要は、決して他人に紹介できるような店ではなかった。だが、却って『あたるも八卦、あたらぬも八卦』という不安感が博奕嫌いのくせに妙な高揚を覚える店。まあ、火が通っているし、そう簡単にくたばらないぞという人種しかいないような場所。こちらも幼少時代は戦後の残りが漂う場所で育ち、不衛生時代を平然と生きてきた。ある意味、鍛え方が違うのだ。
ゆえに半世紀以上も前の時代に引き摺り戻される店であった。その灯も消えた。今年も酷暑だというのに暑気払いと景気付けに出向けなくなった。
その上、カツカレーとビールいう選択肢が消えた。同じメニューで残る手持ちは沖縄の那覇だけ。
かといって今年は未だに行く予定がない。