もしお許し願えれば女について話しましょう – SE PERMETTETE PARLIAMO DI DONNE(1964年)

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スタッフ
監督:エットーレ・スコラ
製作:ピエール・ヴァーセル
脚本:ルジェッロ・マッカリ、エットーレ・スコラ
撮影:サンドロ・テーヴァ
音楽:アルマンド・トロヴァヨーリ

キャスト
男たち / ヴィットリオ・ガスマン
じらす女 / シルヴァ・コシナ
高級娼婦 / ジョヴァンナ・ラッリ
怠惰な貴婦人 / エレオノーラ・ロッシ・ドラゴ
囚人の妻 / ジャンヌ・ヴァレリー
花嫁 / アントネッラ・ルアルディ
女たらし / ワルター・キアーリ
旧友 / ウンベルト・ドルシ
刑務官 / アッティリオ・ドッテジオ

日本公開: 1964年
製作国: イタリア フィルム・ラ・コンコルド、フェアフィルム作品
配給: 松竹映配


あらすじとコメント

イタリアの名監督エットーレ・スコラ。折角だから彼のデビュー作にしてみる。艶笑コメディをオムニバスで見せる作品。

イタリア、ラッツィオ

周囲には何もない小さな一軒家の農家に、馬に乗り猟銃を担いだ人相の悪い男(ヴィットリオ・ガスマン)がやって来た。彼はそこの主人の名前を大声で呼びながら家を周囲を回った。

中にいるのは妻(マリア・フィオーレ)のみ。男の風貌から恐怖感を抱き、もしや亭主が何らかのトラブルを起こし彼が殺しに来たのではないかと恐れた。男は一向に帰る気配がないので仕方なく、今はいないと二階の窓から答えたが、ならば何時に帰宅するかと睨むように答えて引き下がらない。

意を決した妻は彼を招き入れて、自分にはこれしかできないがと服を脱ぎ始めて・・・

男女の機微をコメディとして描く9編からなるオムニバス。

第1話は亭主を殺されるならと勘繰って身を捧げる農夫の嫁を描く「案ずれば損をする」。

それ以降、外面ばかり軽くて調子の良い男が家庭では謹厳実直という「おもて笑顔でいえしかめっ面」。街娼と彼女の部屋で楽しんだ後、亭主が帰宅するが何と同級生だったという「他人の女房を寝取るよろこび」。

マリッジ・ブルーを描く「結婚式風景」。性交渉をじらし続ける美人の末路「じらすにじらす結果は」。タクシーが掴まらない男が取る行動を描く「高級街娼と無賃乗車」。

遊び人に弄ばれた妹を真面目な兄が責任を取らせに行く「ミイラとり」。金満夫人に言い寄られる無学なクズ屋の顛末「女のはらいもの」。そして二日間だけ仮釈放になった亭主が喜び勇んでずっと妻とベッドを共にし子供を授かるが、その実はという「知らぬは亭主ばかりなり」の計9編の艶笑譚。

全作で男役を演じるのがビットリオ・ガスマンで、本作以降エットーレ・スコラ監督とは名コンビになって行く。

そのガスマンがお見事の一言。全パートでタイプの異なる男を演じ分けるのだが、イギリスの怪優ピーター・セラーズのような凝りに凝ったメーキャップで風貌から全部を変えるのではなくカツラや髪形程度で演じ分けて行く。それでいて同じ顔付きながら印象を異にさせるのだから名優と呼びざるを得ない。

一方で女優は全作違いそれこそ伊仏のセクシー系が勢揃いで、こちらも目の保養になる。

アメリカのような単純な笑いもあるが、そこは流石のヨーロッパ映画で、実にシニカルさが勝る内容ばかり。ゆえに日本人には些か疑問符が付く内容もあるが、そういった点にラテンの中でも、特にイタリア男の系統が流れると思わせる。

確かに笑いのツボが違うので全9作が面白いとは呼び難いが、声質や演技法で変化を持たせるガスマンと各女優たちとの息の合いかたでこれほど印象が変わるかとも感じさせる。

何せ9作もあるので各エピソードが10分前後という丁度良い時間でも、内容次第では長短を感じさせ印象すら左右されるのも面白い。

当時の車の流行やらファッション、音楽なども時代性を感じさせるが、逆に当時の風潮と流行を見せてくれるのも興が湧く。

冒頭の農家の嫁エピソード以外は全部がローマで撮影されているのも、どこか観光名所紹介っぽくも見える。肩肘張らずに、どのエピソードが自分に合うかを探すのも一興かも。

どの道9本違う内容を見ても90分なのだから。

余談雑談 2024年7月13日
結局、影響は受けるんだよな。 何度もここでわめいているが、TVなりのニュース番組なりワイドショーでは各局が同じことを同時期に集中報道する。ネタ探しは大変と容易に想像は付くし、視聴者が興味を持ちそうなことは大体同じ。その上、恐らくちゃんと見な