残暑見舞い。
その表現を使用できるのは今年だと8月8日あたりから今月末までらしい。ところが三ヶ月予報では10月一杯は例年を上回る気温で、東日本では11月に入ってから緩やかに秋を感じるらしい。間違いなく以前からの「季語」的な言葉は通用しなくなる。
となると自分は新しい言葉を考えたくなる。『長酷』とか『無秋』。特に、音でいう「むしゅう」は自分的には敏感。死ぬほど清潔好きではないので、タオル等の使用頻度は大まか。陽に当てれば「日光消毒」とばかりに大丈夫という観念を優先してきた。とはいっても室内干しのみなので限界はある。
それでも窓の近くで干すように心がけているのだが、暑さで窓を開けても風も抜けず夕刻はスコール。ゲリラ雷雨の直前には涼しい風が吹くとか放送するが、その間だけ窓とドアを開ける訳にも行かず。立地の問題だが、この時期は風がドアと窓に対し平行に吹く。つまり、室内を抜けてくれない。これは長方形の昔風な部屋の間取りの所為。
ゆえに締め切った部屋の窓近くで一日干しても、生乾きなのか自分でも感じる嫌な臭い。好きな人の匂いは気にならないとも言われるが、自己愛の塊の自分のくせに苦手なのは何故に。
「加齢臭」。「かれいしゅう」と読んでも「華麗衆」なんぞと自己変換は昭和生まれのおやじギャグで唾棄対象。まあ言葉は高速というよりも、今や光速的に変化し続ける。流行語大賞に選出された言葉すら何年前の受賞かとクイズにでるほどだ。
すでに平成世代も隔世感対象だよな、当時から若者言葉に付いて行けないと感じていた自分は21世紀からは完全に浦島太郎状態。
でもな自分なら竜宮城から絶対に戻らないし、嫌々送りだされたら、浮上中に溺死する。きっと同じように、海中で自分のような水死体が累々と漂っているのかもしれぬ。
竜宮城を経験したオジサンは、間違いなく夢見心地の中自分が溺死しているとも思わず、未だに竜宮城の中で心地良く彷徨っているとか感じながら朽ち果てて行くんだろうな。それでも魚には喰ってもらえればマシかも。
否や、ちゃんとアップデートしてるし、己は「昔は良かった」とか言わないから『オジサン』ではなく「イケてるダンディ」と仰る御仁も多そうだが、既にその発想が、絶賛海中浮遊中だと思うのは自分だけだろうか。
個性は個性さと言ってはみても、右へ倣えじゃないとはじかれてもきた。堅苦しくても一斉変換が当然の昭和。そういえば「衣替え」ってあったよね。確か6月から9月が夏服シーズン。それは四季がある程度ちゃんと存在していたころの話。
でも今じゃ完全にキツい。それでも以前は生地自体の特性を考慮しての衣替えだったのでしょうね。当時に比べれば更に進化した素材で100パーセントの素材よりも完全フェイクで通気性が良かったりと、更に安価と努力を惜しまない。
夏でも着物しかない時代に生きていた人は『絽』とか『紗』という生地があったらしい。その質で互いを値踏みしたんだと。
何だ、昔から値踏みというかマウント対象があったってことか。まあ、マウントや見栄云々とか言ってみてもちっとも涼しくはならなんだよな。
この暑さも高速的に過ぎてはくれまいか。