落穂拾い – LES GLANEURS ET LA GLANEUSE(2000年)

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スタッフ
監督:アニエス・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:ディディエ・ルジェ、ステファーヌ・クロス 他
編集:アニエス・ヴァルダ、ロラン・ピノ
音楽:ジョアンナ・ブルソヴィッチ

キャスト
彼女自身 / アニエス・ヴァルダ
彼自身 / ジャン・ラ・プランシュ
彼自身 / ボダン・リトナンスキ
彼女自身 / フランソワーズ・ワーセイマー


日本公開: 2002年
製作国: フランス シネタマリス作品
配給: ザジフィルムズ

あらすじとコメント

今回もドキュメンタリー映画にする。アニエス・ヴァルダという女流監督が一枚の有名絵画から次々と連想するイメージを追う社会派ドキュメンタリー作。

フランス、パリ

オルセー美術館に所蔵されている、三人の農婦がかがみながら収穫する姿を描いたバルビゾン派の有名作であるミレー作「落穂拾い」という絵画がある。

「シェルブールの雨傘」(1963)を輩出したジャック・ドゥミ監督夫人でもあるアニエス・ヴァルダはその絵からインスパイアされ『拾う』という行為に興味を抱く。

そして自ら新たに買ったデジカメを持ち、街に出た。終わった市場の破棄された野菜や食材を拾って集める人々をカメラに収める。インタビューを試みると違法行為ではないし、逆に可食物を廃棄する飽食の時代であることを嘆く。

ミレーの絵画は貧しい農民が収穫後に畑に落ちている小麦や稲穂を大きな前掛けの中に拾い集めている姿を描いた作品であり、現在でも同じように『かがんで』食べ物を拾う現代人にも脈々と受け継がれている行為だと感じる。

そこから更に野菜の生産地ではどうなっているのだどろうと興味が続き・・・

女流監督の繊細な視点と大胆な観点で描く記録映画。

「落穂拾い」という絵画は有名なミレー作以外に何作もある。そこで描かれているのは生きて行くために如何に食物を得るかということ。

パリの閉場後の市場に始まり、ジャガイモ生産農家では形や大きさで選別された収穫後に放棄されたものは誰が拾っても良いという概念があり、実際古い法律でも『日の出から日没までの間で収穫後の物に限る』と認められている行為でもある。

しかし、それを快く思わない作付け農家もいるし、拾う方はいかにもホームレスのいで立ちながら「万引きよりはマシだろ」と平然と言ってのける人間もいる。

その誰もが自分側からの正当性を主張する。そして監督の「拾う」行為に関する興味は俗にいうゴミを集めて作品を作る芸術家や、ゴミを減らそうと子供たちに教育しようとするグループなども追っていく。

並行し、ワインで有名なブルゴーニュではブドウ生産が国から厳しく指導されているがそれゆえの混沌や、嵐の後の養殖カキが打ち上げられた浜にやって来て集める人々は、数量だの重さだの制限内なら良いはずだと身勝手な正論で欲しいだけ拾い集めて行く。

流石に自由の国だけあって国籍を持たず移動生活を続けるジプシーやアフリカから来た人々、誰もが社会なり人生の敗残者のように黙って逃げるようにコソコソとせず、自分の意見を述べるのには驚いた。

中でも若者たちは除菌剤こそが諸悪の根源とスーパーのゴミ箱を破壊し裁判所前で暴動まで起こしている連中もいる。良い意味でも悪い意味でも自己主張をする姿に感動すら覚える。

根底にあるのは貧富の差と生存欲求。それこそ法律家の解釈やらゴミをモチーフにした芸術家の「役に立たぬが知の宝庫」とか、別な作家は「芸術家は皆、自画像を描く」といった意味深な言葉もでてきて、ヴァルダ監督自身が「映像の落穂拾い」と言う。

そしてカメラに収めた様々な画像を自由な解釈や、逆に劇映画のように編集したりと、実に楽しい映像表現としての心地良さと、反面で飽食の時代に突入した人間たちの個性が危険な事象をはらんでいくだろうとも感じさせ、これこそドキュメンタリーの醍醐味だと感じさせる作品。

余談雑談 2024年10月12日
成程とか、可能性とか。 先立て情報系番組で、とある省庁施設内のトイレに「チャイム」設置を試験導入というのを見た。待つ方にしたら緊急事態なのに個室に籠ってスマホに集中し、自分の気が済むまで出ない人間がいるというクレームからだと。 成程、そうい