街中で頻繁に見かけるようになったモノ。
スマホひとつて乗れる緑色の自動二輪車。颯爽と背筋を伸ばし滑走している。自分の住む古ビルの並びにその駐輪場が出来た。尤も、「Port」と呼ぶらしいけど。
今の自分には自転車もないので便利かもだ。歩いても足指裏が痛いし、かといって一歩も外に出ないわけにも行かず、少し興味をひかれる。でも、間違いなく飲酒操作はダメでしょ。
そうなるとアウトだ。他にも直立して乗る二輪車セグウェイてなのもあった。こちらは日本ではあまり見かけないが、報道で初めて聞いたときにその音からイタリア語を連想。
「Come segue(コーメ・セグーエ)」。訳すると「以下の如く」とか「下記の通り」と表記する。イタリア専門の貿易屋の手伝いをしていた時に、矢鱈とFAX等で使った言葉。
でも、今や『イカ』や『カキ』と食べものが浮かび「美味そう」が先に来る変換になった。
もう間違いなくイタリアへは二度と戻らぬ自分。それでも何かに飢えているのか。あちらではイカもカキも含め食べ物はすべて美味しかったし、ユーロ統一前の単位『リラ』で、換金レートでは1ドルが85円だった。
今の半分じゃないか。しかもイタリア経済は最悪で換金レートは更に安く、物価も全然違った。バールでエスプレッソのカッフェが70円もしなかった。高級リストランテに行こうが、特急列車に乗ろうが、すべてが安くこの世の天国を経験した。
それが今のレートで旅行などしようものなら、当時の半分以下の経験しか出来ない。だったら、美しい夢のまま二度と行かない。人生はあきらめが肝要だよと。
まあ、近所を歩くとたまにイタリアの旅行者を見かける。彼らの会話を聞くと無性に涙が溢れそうにもなるのだが。まるで石川啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」的じゃないか。当時は半分イタリア人と自称してたしな。
ただし、以前と違ってイタリア人観光客が、どの地方の訛りで話しているのかが分からなくなったと、変な意味で落ち込んだ。
まあ、それ以上に生まれ育った場所なのに、『江戸弁』を忘れちまったな。だって、使わねェしよ。