リラの門 – PORTE DES LILAS(1957年)

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スタッフ
監督:ルネ・クレール
製作:ルネ・クレール
脚本:ルネ・クレール、ジャン・オーレル
撮影:ロベール・ルフェーヴル
音楽:ジョルジュ・ブラッサンス

キャスト
ジュジュ / ピエール・ブラッスール
楽士 / ジョルジュ・ブラッサンス
バルビエ / アンリ・ヴィダル
マリア / ダニー・カレル
アルフォンス / レイモンド・プシェール
サバティエ婦人 / ガブリエル・フォンタン
パウロ / アメデ
ネネット / アネット・ペッパー
薬剤師 / ジョルジュ・ペヴェル

日本公開: 1957年
製作国: フランス、イタリア フィルム・ソノール作品
配給: 東和


あらすじとコメント

前回はキャラのまったく違う女性同士のコンビが活躍する作品だった。今回は男性コンビの友情に闖入者と女性が絡む。パリの下町を舞台にした名匠ルネ・クレール後期の佳作。

フランス、パリ

大酒飲みで厭世観に満ちたジュジュ(ピエール・ブラッスール)は仕事もせず、物品を悪びれずに盗むコソ泥でもあった。ところがそんな彼を見棄てず、友人として付き合う楽士(ジョルジュ・ブラッサンス)がいた。

口うるさい家族から逃げるように楽士の家に入り浸るジュジュ。しかも近くの小さなバールの一人娘マリア(ダニー・カレル)に恋をしている。

ある日彼らの住むリラ地域に警察が大勢でやって来て大騒ぎとなる。どうやら警官や市民を殺したバルビエ(アンリ・ヴィダル)がそこに逃げ込んだようで一大捜査が始まったのだ。

その隙にジュジュは食料品屋から楽士が食べたがっていたフォアグラの缶詰を10個も盗みだした。その後、一軒一軒中に入って探す警察に、もし窃盗が見つかったらと外へ隠した。

ところがその間に楽士の家にバルビエが忍び込み・・・

仲良し二人組と犯罪者の奇妙な関係性を描く。

コソ泥の主人公とギター流しの歌手。そこに逃走中の犯罪者が入り込むが、怪我と疲労から寝込んでしまう。

そんな犯罪者を見て主人公が何故か気を許し、楽士の家の地下室にそのまま匿うと言いだす。回復までの当座だと多寡を括り楽士も許可する。

ところがそうは簡単に行かず居座ると言いだし、その上主人公が恋するバールの娘にもばれてしまう。

誰もが少し身勝手で奇妙な価値観を持つので、当然バラバラという印象で、誰に肩入れして良いかわからなくなる。

それでもルネ・クレール演出は冴えている。特に最初に主人公の「人となり」を説明するのに同じセリフを別な人間に繰り返し言わせて印象を植え付けてくるのだが、本人はまったく気にしてないという性格だから困ると想定させる。

続いては逃走犯がどのような犯罪を起こしたかとバールの主人が新聞を客たちに読み上げると、窓の外では子供たちが「犯罪者ごっこ」と称して、その記事の内容と同じことを再現していくという洒落た場面など、これぞ映像表現の愉悦と感じさせ、冒頭から中々面白い。

だが、それらのどこか抒情的でセンチメンタリズム感を漂わす進行から犯罪者の登場によって微妙に変化が訪れる。

この辺りの演出術も妙味がある。ルネ・クレールというと戦前の名画「巴里の屋根の下」(1930)、「自由を我等に」(1931)、「巴里祭」(1933)など名だたる作品を輩出してきた監督だが、本作は後期の中でも良く出来ていると感じる。

パリの下町の貧乏で自由と言えば聞こえは良いが身勝手な人間たち、しかも憎めないタイプの、人情ドラマであり、悪役では無いものの官憲や金持ちはあくまで違う世界の人間だと描いていくのもいかにもクレールらしい。

ただ、この監督の作品は手放しで喜べるハッピーエンドの作品も少ないので、そのあたりフランスらしい冷徹なセンチメンタリズムで「冷たさ」と「寒さ」をも感じさせる。

余談雑談 2025年2月1日
やはりすごい人波だな。ニュースでも散々報道しているが、隣国の正月。当然か、今年も相当量の人間が流入中。地元もいつも以上に、棒の先に目印の旗を掲げたガイドに引率された、いかにも都会派ではない印象で陽に焼け、着衣も懐かしい人民服の態の穏やかな顔...