余談雑談 2025年2月22日

金沢から帰ってきて思ったこと。

考えたら新幹線に乗ったのは10年以上振り。当然、北陸新幹線は初めて。開業以降、TVなどで金沢へ行こうキャンペーン的に旅やグルメ系番組で散々放映されてきたが、ヘソ曲がりとしては、だからどうしたと。

今回、自分が行ったのは別な理由。震災被害は免れたものの解体業者の誤解という不運から被害に遭った店の応援だった。去年元旦の大地震絡みの応援とは違ったが、結果、同じことだろうと身勝手変換。

良く行く奥日光の温泉へは私鉄であり、JRより運賃や周遊特典付きでかなり安いので重宝している。それもあって、JRでの旅は避けてきた。

なので完全アウェイでの金沢行きだった。でも不思議なもので久方振りの新幹線が早かったのは助かるが、風情とか旅情がなくなったとも感じた。

その最たるものが「駅弁」かもしれぬと。それこそ幼少時代には夢の超特急などなく、特急でもかなり時間がかかった。

そういう中での駅弁は楽しみだった。途中のどこそこ駅ではこの駅弁が有名とか、窓を開け、大きな箱を肩紐に繋ぎ何十個もの弁当とお茶なんぞを売っていた。停車時間内に無事に買えるかという少しサスペンスもあり、そんな思い出が残る。

それが大人になり、遠出は空路になって過ごし方に変化が生じた。今や百貨店で駅弁フェスなる催し物が出来るほどメジャーになり、行列必至だ。

結果、高くなって手がでないと感じるし、冷たいままなのも癪だという価値観に変化。糸を引っ張ると温まるスタイルの駅弁も見たことがあるが、あまりそそられなかった。

考えたらコンビニ弁当も苦手。自室に電子レンジがないから再度温め直しが出来ないし、コンビニで温めてもらっても漬物やポテサラから湯気がでるのは嫌。ある意味で贅沢なのだろう。

その上、格好付けしいの自分は駅弁を買って乗車しても、どのタイミングで食べ始めるかとか逆算したりするのも面倒。

更には、ひとり旅のときなど隣席に誰か坐るかでも変わる。隣が空席なら問題ないが、乗車するまで分らないし、途中駅からの乗車かもしれない。

となると運なり他人を信用しないタイプだ。即座に他人嫌いが発動というか、自分が隣だったら食事は不愉快だしが優先されるので、駅弁を車内で食べることをあきらめる。

結局、乗車前か現地入りしてから暖かいにしろ冷たいにしろ、今できたと解るものが食べたい性分。

やはり贅沢なのだろうか。でもな、たまに駅弁でないにしろ植え込みやベンチでコンビニ弁当を食べている人間を見かけると、人生楽しいですかと尋きたくなるのは生意気なる上から目線か。

海が見えるローカル線の無人駅のベンチとか、渓谷の爽やかな風が溜まる少し肌寒い誰もいない駅待合室とかで冷たい弁当を広げるのは又、風情があるかもしれないが。

まあ、価値観は人それぞれだろう。

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