今回の都々逸。
「どれだけ盃重ねてみても 三々九度までいかぬ仲」
成程ね。やはり真剣に恋をすると結婚したくなるのですな。これは花街の女性が好きな家族持ちの男性に向けて謳ったものだろう。
とはいえ現在ではこんな都々逸に共鳴する人はどれ程いるのだろうかとも感じる。結婚を意識し、苦労しても添い遂げたいと願う男女はどれほど存在するのかとね。
何故なら結婚に関する統計を見ると首を傾げたくなる数字が並ぶから。もしかして価値観が激変したのか。否や結婚に夢も希望も将来も想定できなくなったのか。
もしくは結婚したくとも安定収入が覚束ないとか、子供を産んでも将来にかかる金や地域格差に閉口し踏み切れないのか。
不安しかない将来。産めよ増やせよの時代ではないしな。確かにそう思わせる情勢だし、個人の価値観は優先されるべきとしか言いようがない。
何故なら自分よりも上の年代から脈々と価値観を強制され、挙句に今じゃ放置。それでいて自分がそれなりの立場になると知らぬ顔で自分らにだけは過保護適用。
偉そうなことを言う自分だが、同じく若い層への配慮をおざなりにし将来を食い潰してきた年代の一翼でもあるのだから責任も感じる。
とはいえ、若いうちの苦労は買ってでも出ろよ、さもないと歳喰ってから三々九度ならぬ、「散々苦労する」とかダジャレで言ってたものだ。
まさに、そんなんで婚姻率が上がったり、複数人の子供を育てられるようになれば奇蹟でしかない。
手遅れ感もあるし、嫌だと思えば面倒からは逃げ回る人生だった自分だしな。結局、こんな酔狂な都々逸なんぞ時代遅れも甚だしい忘却の遊興でもある。
まあ、芸者遊びの世界には入れなかったし、今や芸者遊びも変化したに違いない。それこそ昔は客も三味線が弾けたり、小唄端唄あたり唸れてこそ『粋人』だったらしい。それ以外じゃ「俗人」とか「野暮天」。
それこそ昭和は遠くになりにけりだが、昭和でも戦争前のひと桁時代で、平成に繋がる時期とは違う。結局、かつての通人に思いを馳せるのみか。
おっと、また逃げを打つか。