余談雑談 2025年3月15日

雪が舞い、その後に桜開花の足音が聞こえる東京。

その間には、80年前の3月10日と14年前の3月11日の忘れがたい二日間があった。

忘れもしない14年前は自室で体験した。後に知るが「長周期地震動」で撹拌されるように部屋が回り、ブラウン管TVが壊れ、一瞬だが死を覚悟はした。

一方、未経験ながら東京大空襲に関しては、当日不在だった祖父と次男、三男は免れたが、長男であった父親と祖母、まだ幼かった叔母らが今の自室のあるビル直近で奇蹟的に生き残った。

何度もその時の話を聞かされ、トラウマになったのも事実。それほどショックな体験をした人間は皆が死を覚悟したと口を揃えて言っていた。

そう思うと自分が生まれ育ち、現在でも住み続ける地元から離れ難いなと強く再認識する。やはり、自分同様小さなころからの友人の何人もが地元去り難しと言う。

自分に至るまで同じ場所で何世代も生き残ってきたというか、生き延びて来られた土地。そこに染みついたというか、染み込んだ何かが強く影響しているのかもしれない。まさに故郷なのである。

しかし60年も前に建った時から現在でも住み、離れたことがない自室が入るビル。それが老朽化し建て直しの話が持ち上がっている。

大義名分は分かるし、いざという時に倒壊の危険性があるのも理解できる。しかも震度8.5以上で一部フロアが圧し潰される可能性があるという程度なのだが。

それでも危険なものは危険で100パーセントの安全確保ではないと。御上に鎮座する儲けたい連中の否応がなしの決定事項としての「穏やかなる命令」と感じるが。

とはいっても、そうは簡単に行くまいと願ってもいたし、新築当時から住む年長者のご老人方は自分が死んでからにして欲しいと言っているのも、それぞれの身勝手さが前提だが、自分だって理解できる年齢に近付いている。

せめて建て直し回避は不可能にしても、当初の予定もよりも諸事情が重なり遅れてくれとは思っていた。

信じれば通ず、でもなかろうが、案の定遅延決定となった。だが、その間に建築費高騰や工期延長が顕著化して、先立ての個別説明会では当初の買い戻し提示額より到底再購入できる可能性が絶望的に低い金額に跳ね上がっていた。

確かに想定内だがやはり嫌な気分だ。しかも立地や周囲の環境からすると日本人以外の俄か成金系がビルごと買い取りそうな恐怖もある。

イヤだイヤだで何とかならないよな。

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