沖縄から戻った。
今回は那覇一週間完全ノープランで、本当に市内から出ず。
旅行予約決定後に、コザ在住で開業医の同級生に連絡するも学会出張で不在。もう一人の仲良しであるショップ店長は自分探しとやらで約一ヶ月の長期ヨーロッパ放浪旅でおらず。
本来なら別々に飲めば最低二日は時間潰しが出来ると思っていたのに全滅で消沈。
逆に良かったことは新たにランチ用店舗と夜専門の安酒場を各一軒ずつ新発見したこと。ランチ店は最近定宿にしてるホテルから徒歩3分だし、安酒場はコの字カウンターのみで驚くほど安い。両店とも次回から通うこと決定だな。
逆に新規で入った某有名店は失敗した。そこは元は老夫婦がメインで営んでいたが、夫婦が相次いで他界し、最近現地で勢力拡大中の飲食グループが買い取ったらしい。
案の定なのだった。居抜きで店名も変えず、同じように経営しようとしてはいるが、雇われ系じゃ格が違うのだ。つまり味の継承は無理。
何せ沖縄のダシといえばカツオと昆布の合わせが優勢で薄口系なのだが、そこは妙に東京の下町、もしくはかなり寒い地方の醤油味の如く濃いもので驚いた。具材も下処理が不十分で嫌な臭いや脂分が残り閉口。
敢えて店名やメイン料理は伏すが口に合わず。それでもAIが味覚形成のデータ修正をしつつ、今風な人の口に合うように操作でもすりゃ、好きな人もいるのだろうなと思うが、こちらは胸焼けを感じつつ退店した。
他にはわざと買替えるつもりでボロい靴を履いて行きショッピングにも出向いた。ところが予定していた店にはお気に入り商品の扱いがなく、ネットで探して別店舗へ。
「ゆいレール」なる交通機関に乗って出向いた先が「おもろまち」という場所。アメリカから返還された元米軍基地跡の再開発地域だとか。
こうなると日本は全く同じ発想で都市開発。駅前はこうで、近隣にはショッピンモールに芸術劇場やシネコン、更には外資系高級ホテル。
つまり、東京やそこいらのそれなりの都市とまったく遜色がない開発をする。確かに現地に住む人たちには都会人と同じ環境が誕生。
個人的には『ツマラン没個性』の地域。とはいっても地元に限らずどこでも高齢化から閉店したり、ふとした触れ合いに心休まったりが激減しているのは共通だろう。
まあ、そもそも返還された新規開拓地から古い遺跡が見つかった的な温もりを感じさせる場所をと思うだけで経済活動放棄だよな。
で、ふと思い出す。沖縄に最初に来たのは今世紀初頭で、もう25年も前。しかも沖縄出身者にどことどこに行けと直接言われてそれが全部大正解で繋がりを感じ、何度も同じ人や店に会いに戻る。
まさに沖縄の言葉で「ゆい」である。『結ぶ』という意味で「ゆいまーる」と使うのがあちらでは主流。
昭和の地元同様、貧乏さと不便さが混在し、そこに人間の知恵や優しさが息づき、余裕にしろ諦念にしろが浸透し、結果として「繋がり」を大事にする。
でも、あちらでも絶滅しかけてるのか。