所用があり、京都へ行ってきた。
最後に行ったのは35年以上も前。実に久方振りであり、本来であれば再訪問はしない場所だろうとも思っていた。
何故なら、地元同様超有名観光地だし、元来からの在住者も自らを『いけず』と呼称する人が多いとも聞くから。
確かに自分の地元とは歴史も違うし、格も違うので、いくら自分も「他人が苦手」という排他的な前提観を同じように持っていても、場所柄、単純にあちらのように文句も言えまいと思っていたから。
それでも行くと決まった以上、根が貧乏性なのか、折角だから最小限の観光はするかと思う自分が情けない。
結果、駅からほど近いホテルを予約。栄えているのとは別方面の「東寺」と朝から無料解放している「東本願寺」に決定。双方とも徒歩圏内だし。
夜の飲食は悩むところだが、ネット情報を信じない性分でもあり、場当りで決めようと乗り込んだ。
結果、やはり苦手な場所と確信してしまった。先ず、飲食は古ぼけた焼き鳥屋に飛び込んだら、何と地元と同じで古い家屋をさらにそれらしく改造し、やっているのは派手なダボシャツを揃いで着用した地元ではない若者系。
まったく、地元ならすぐに鼻が利くのに旅先では機能せずと最低限の注文で店を辞し、続いて新規探しの賭けを諦めてチェ─ン系ビヤホールで仕上げ。
得意なはずの飲食がこれだ。他のは言わずもがな。
特に驚いたのは二ヶ所の寺での体験。実は双方で死を意識したのだ。年に一度ぐらいの頻度だが、ここ数年自室で同じ体験をしたことがある。
症状は「立ち眩み」に似ている。先ず、左側のみの鼻腔の中に違和が生じ、妙な鼻水を想起させるエアーが左の脳天に駆け上って意識が朦朧とし、左半身が天に吊り上げられて行く感覚に襲われる。右側は頭から爪先まで、完全に意識下にあるのにだ。
酷いときは意識が遠退き、倒れ込みそうになる。それが東寺では21体の像が鎮座する「講堂」に入った直後に。東本願寺では本堂内部に上がり、朝の勤行に立ち会った時。静かに入り口近くに坐ると、突然東寺と同じ感覚に陥り、意識が遠退いた。
以前、恐怖を感じ脳波系を調べたが、異常は見受けられず。しかし突如頭部から左半身麻痺のような感じに苛まれるのは不安。
他人には「気のせい」と言われるかもだが、肉体的変化が伴なうのだぞ。しかも京都の有名な場所でだ。
もしかして己の今まで生きてきた悪行三昧の猛省が促されたのか。もしくは誰か死ぬほど憎んでいる奴がいて、強制的に黄泉の世界へ誘ってきたのか。もしくはそこでデトックスとばかりに、厄落としが出来たのか。
兎に角、死を意識した。しかも京都で立て続けにだ。恐らくは外気との急激な寒暖差からかもしれぬが、場所が場所だけに妙に嫌な心持になった。
その上、履いて行った靴が履き慣れていなかったからか、かかとにマメができ、それが破れて痛くて通常歩行が不可に。まあ、その靴を選んだ自分の所為。
しかし、それにしても京都での体験はどれもが想定外に合わないというか、肉体的にかなりの苦行が伴った印象のみ。
やはり合わない場所なのだろうか。自分は違うのだが霊感が強い人が行くと常に寒気を感じ、霊が見える人には夥しい数の幾本も矢が刺さった落ち武者を含む人間がゾロゾロと某寺の中に吸い込まれて行くのが見えると。
歴史を考えても、ある意味「鬼門」。まさか、その地に代々住み続けるから「いけず」になることもなかろうが。
東京の東に住む自分としては、やはり苦手な場所のような気がした。あくまで個人の所感だが、実は帰宅後も二日間ほど妙に体が重い体調不良が続いた。
まさか、何体かの霊を連れてきてしまったのではなかろうか、と不安にもなった。
もしそうなら、やはり「お祓い」は地元の氏神様だろうな。
ああ、くわばら、くわばら。