東京も梅雨に入った。
一方で、沖縄は最早で梅雨明けだ。例年から鑑み、恐らく今月下旬ごろだろうと想定して、今年二度目の再訪を考えてはみた。
だが、旅程や料金で悩んでいるうちに、オジサン三人旅が決まり、当然そちらを優先。それも別な楽しみが満載だから。
とはいえ既に高温多湿を感じ、今からこれじゃ先が思いやられる。
天気情報でも今年は例年よりも暑くなる確率が高いと脅かしてくる。まったく何年ぐらい前のデータを集計し、平均値をだしているのだろう。
去年は死ぬほど暑く、それなりに行動範囲が変わったり、妙に部屋に引き籠り、結果、運動不足というか、徒歩距離激減から脚の具合が悪くなったりした。
何とか足の具合もマシになり、少しながら徒歩での飲酒訪問先を増やし、皮膚病も改善され運が向いてきたと思ったりしもした。
ところが、体は正直というか、妙な湿気で常時ミストサウナ内での生活を感じさせ、外出が億劫になる今からだぜ。
まさか昔と違いパンツ一丁で平然と地元の超有名観光地を跋扈するわけにもいかぬ。
忘れもしない1964年の東京オリンピック前に周囲から外国人が多く来日するから、裸で街をうろつくなと指導された。野蛮民族と思われるからだと。
今思い返すと扇風機しかない時代に良く耐えて頑張ったと褒めてやりたいね。
確かに、あの頃と今とでは暑さの質も違うだろうし、昔は冷たい物を口にするぐらいで涼しいと念じ、一瞬の冷たさで諦めるしかなかったよな。
まあ、その頃の大人の言うことを素直に聞いたまま育っていれば現在のような性格にはならなく、素直に右へ倣え的価値観で喜べてチェーン店の味やTVやSNSからのおススメ情報でも楽しめたのかも。
そこで考えてみた。人間に重要なのは「適合能力」なのか、もしくは「適応能力」なのか、と。
調べてみると適合は「ピタリと一致」。ある意味、無理しても合わせるということで、ストレス過多になりそうなイメージ。
一方の適応は、即座にでないがやがて合わせて行くことを含むとか。こちらは人間が生存のために嫌でも環境に合わせて変化していくことだわな。
つまり住む地域や環境で何十代にも及ぶと皮膚なり眼の色も変化する。暑い場所では皮膚も褐色や更に黒くなって来たのかも。
北欧は日照が少ないから皮膚は白くなり、眼の色もクリアなブルーや緑になる。で、保護のために日照が多い国などへ行くとサングラスは必須となる。もしかして眼球も日焼けするのだろうか。
そうやって自然環境に合わせて変化していく。もしかして100年後の人類は、ほぼ茶褐色系か、地下移住者は退色していき、更に放射能にも免疫が出来たりして。
可能性はゼロではないにしても、自分には無理だな。我慢なんぞしたくないし、他人に合わせることでのストレスなんぞゴメンだね。
若い時の苦労は買ってでもせよと昭和時代に言われたが、今やもう若くないし。というよりも、苦労なんぞ金払ってでも他人に押し付けたいね。
そうはいっても大自然様はこちとらのワガママなんぞ、聞いてはくれまいが。
となれば得意の身勝手変換か。
適応でも適合でもなく自分はテキトーとか、チクショーということで。