ポー河の水車小屋 – IL MULINO DEL PO(1949年)

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スタッフ
監督:アルベルト・ラトゥアーダ
製作:カルロ・ポンティ
脚本:フェデリコ・フェリーニ、トゥーリオ・ピネッリ
撮影:アルド・トンティ
音楽:イルデブランド・ピッツェツィ

キャスト
ベルタ / カルラ・デル・ポッチョ
オルビーノ / ジャック・セルナス
スマラッツァクッチョ / ジュリオ・カーリ
プリンチパッレ / ジャコモ・ジュラディ
ライボリーニ / ニーノ・パヴェーゼ
クラパッソン / マリオ・ベセスティ
スニーザ / リード・グロリア
アルギア / アンナ・カレーナ
スザンナ / ディーナ・サッソーリ

日本公開: 1951年
製作国: イタリア ルクス・フィルム作品
配給: イタリフィルム、松竹洋画部


あらすじとコメント

前回は米の田植えをするためにポー河に来る季節労働女性の話だった。今回もイタリアを横断するポー河での水上生活者の娘と許婚者のいる農民の家族が辿る社会派ドラマの力作。

イタリア、フェラーラ

19世紀末、流れの早いポー河上に水力で製粉する水車小屋があった。住んでいるのはスカルチェルニの一家。娘の一人ベルタ(カルラ・デル・ポッチョ)は近くの荘園の小作人一家ヴェルネージ家の息子オルビーノ(ジャック・セルナス)と許婚関係にあった。貧しいながらも、これからの小さな幸せを両家族共に願っていた。

だが、牧歌的な時代から移ろい、社会主義が台頭してきていた。下々は如何に抑圧されているかと説き、資本家や搾取側から自分たちの正当な権利を勝ち取ろうと扇動し始めた。

両家族と周囲のほぼ全員が文盲であり、理知的な発想も出来ぬ人間ばかり。当然、困惑する一同。その一方でヴェルネージ家の土地を所有する園主は、そんな活動に参加すると解雇し追放すると言いだす。

方や水車小屋の家族は官憲に強制的に取り付けられた粉挽メーターが気に入らず細工をし脱税をしていた。一度はそれが見つかり官憲の目が厳しくなっても更に誤魔化そうとする一家。ところが、あくまで無策であり、今度は官憲側が真夜中に突如訪問してきた。

慌てた兄のプリンチヴァッレ(ジャコモ・ジュラディ)が後先を考えずに小屋に火を付けてしまい・・・

無知と集団心理から互いに深い溝を作っていく家族を描く社会派ドラマの力作。

代々続く土地は自分のものであると信じ込んでいる小作農一家。方や、極貧の水上生活者なのに税金が高すぎると身勝手な論理で小細工をする一家。

つつましいというよりは逞しさが勝り、好き勝手を言って相手を罵倒したり懇願したりで両家族が官憲や荘園主らから難を乗り切ろうとする。

そこに社会主義者が組合を作ろうと扇動し始めて大きな渦となっていく。しかし、農民一家は我関せずと独自路線で行こうとするが民衆の味方だと言っているくせに組合に加入しストに参加しなければ「村八分」にすると、ここでも嫌な集団心理が押し付けられてくる。

主人公は若い恋人二人だが、当然、別々の渦に巻き込まれていくことになる。搾取側も社会主義者側も双方の論理で、少しでも意にそぐわなければ排除なりの思考が強く働く。

結果、主人公の農民一家内でも分裂が起きて行く。それはヒロインの水車小屋の一家も同様。

時代のうねりは激しく、小さな価値観で生きてはいけないと見せつけてくる。

理想とも思える社会主義だって、結局は数の論理と大勢のためには犠牲は付きものと大上段に言ったり、荘園主はストで困惑した結果、警官隊を動員して武力制圧を考えたりする。

結局、資本主義者も社会主義者も、上に立ちたい人間は何らかの権力を持たないと思い通りにはならないことを知っている。

ゆえにいつも悲劇に見舞われるのは単純な思考しか持ち合わせぬ下の人間たちである。

その中で健気に愛を通そうとする主人公カップル。しかし、敵は権力志向者のみではなく、同等の人間や家族内にも存在すると、これでもかとえげつない展開を見せてくる。

何とも切望的な心持ちにさせてくる脚本にフェデリコ・フェリーニが加わっていることにも驚かされた。

人の世の非情性が際立ち、宗教もあてにならなく、結局時代という大きな大河には流されるしかないと諦念感と無常さが押し寄せてくる。

社会派問題作として見事と感じる力作である。

余談雑談 2025年7月5日
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