もう二年も前に聞いた話だが。
当時、矢鱈と持て囃された『Z世代』とか呼ばれる若者について。
自分らを含めた、俗にいう「昭和時代」は有名大学に進学し手堅い上場企業とか省庁系は無理でも、それなりの公務員、つまり終身雇用で無事に過ごすのがある程度メジャーな志向だった。
それが二年前の報道で、大学生に調査したところ就職希望先で公務員離れが起きていると。当然、訳知り系のコメンテイターは驚いていた。そういう自分も同様だったが。
少子化とか無責任に孫は可愛いとか言い放つ人が増え、その割には何ら外野的文句ばかりで責任放棄してきた。間違いなく自分もその一人。とはいえ孫はいないのだが。
結果的に放任主義から派生し、放置と放棄の成れの果ての所業であろう。つまり、「大人なんだから」と他人に介入せず。
それが安定安心の公務員離れを起こした。文句しか言わない自分のような人間が増え、窓口なり電話対応を強いられる公務員なんぞ給料に見合わないと即座に決める。
だけどさ、それは情報過多がもたらす現実的視点だと思う。つまり個人的に嫌なことはしないが先行。それは他人への対応も同じ。他人なんぞに全く興味はなく、生きようが死のうが自分に影響がなければ些細な事。
老害を自覚しても変えることを拒否する自分はせめて自分が死ぬまでは、好き勝手を許容してねじゃ、加速化だよなとも思う。
というよりも自分も若僧らの仲間入りと嬉しく思うべきか。他人というか見知らぬ人間への興味が一切ない。
眼前で事故なり、人が倒れていてもそのことには心配しない。反射的に通報よりも動画で録画が無意識に優先。ただし、ここいらは自分とは違うが。
それは自分ならば喧嘩に負けて逃げ帰り、相手が追ってこられない場所まで行ってから振り返り、「次は覚えていろよと」叫んだろうなと。それは昭和の自分が子供で素直な時。言い訳としては感情は持ち合わせてはいたよ、ということ。
そうしたらどうだ。最近聞いた話。
どうやら、10代20代の急性内斜視やら若年性認知症が増加傾向だと。認知症は自分らにも身近だからわかるが、「内斜視」とは何ぞやというと、昔でいう「寄り目」のこと。
一応、何故なのと驚くべきだろうが理由は単純でしょう。SNSやらスマホの蔓延。小さなころからスマホを与え、使用過多はダメとか、口頭では一応言いましたとさ。
で、「内斜視」は言わずもがな、近距離で小さな画面ばかり見て顔を上げ、いきなり遠くを見ようとすると焦点がぼけてピントが合わせづらい症状。
認知症は、発育期に本来なら体感しておくべき互いの生存欲求や承認欲求のための駆け引きとか情緒を刺激される直接対峙的コミュニケーションが激減してしまったから。
結果、義務教育が終わり、それぞれが離れた高校に進学し新たな環境で知り合った同級生の名前が覚えられないんだと。
興味のある事象だけで生きてこられた。しかも地元以外の学校に進学すると一斉に見知らぬ人間ばかりという環境。
そうなると社会人になったら当然ながら、上司や得意先の名前を覚えられない。敬語以前の問題として。
自分としては外野的意見で、やはり想定してた事案が起きただけ。
面倒を何よりも嫌う。だから人間絡みの恋愛や気遣い、駆け引きは不必要と割り切る。益々人間としての繋がりが希薄化していく。人口は減っていく一方なのに、その手は増加していく。
さて、ならばどうするか。自分も一応気を付けよう。同タイプ化に拍車がかかってるから。
それにさ、嫌でも自分もそのうちにスマホデビューしなきゃだし。頑固だと言いながら、もしかしたら更なる利便性を知って逃げられなくなるかもと心配。
何々、気を付けるのはそこじゃないって、とかいう外野的意見は聞かないことにしようっと。