ローマで夜だった – ERA NOTTE A ROMA(1960年)

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スタッフ
監督:ロベルト・ロッセリーニ
製作:フランコ・マーグリ
脚本:セルジオ・アミディ、D・ファッブリ、B・ロンディ 他
撮影:カルロ・カルリーニ
音楽:レンツォ・ロッセリーニ

キャスト
ペンバートン少佐 / レオ・ゲン
エスペリア / ジョヴァンナ・ラッリ
ナズコフ軍曹 / セルゲイ・ボンタルチュク
ブラッドレー中尉 / ピーター・ボールドウィン
バルドゥッチ / レナート・サルヴァトーリ
ヴァレリオ神父 / セルジオ・ファントーニ
フォン・クライスト男爵 / ハンネス・メッセマー
コスタンツィ医師 / エンリコ・マリア・サレルノ
アントニアーニ王子 / パオロ・ストッパ

日本公開: 1961年
製作国: イタリア ルクス作品
配給: イタリフィルム


あらすじとコメント

前回の「自転車泥棒」(1948)では戦後の庶民の苦しい生活を描いていた。今回は第二次大戦下のローマ庶民と連合軍捕虜たちのドラマ。監督はネオ・リアリズモの雄の一人ロベルト・ロッセリーニで人間の弱さと強さを描いている。

イタリア、ローマ

1943年、イタリア本土のサレルノに連合軍が上陸するとイタリア軍は降伏した。多くの捕虜がいたが、降伏により三々五々脱走を図っていた。イタリアに駐留統括しているドイツ軍は、捕虜捜索などに兵士を割けず、匿ったイタリア市民を発見次第、逮捕銃殺すると宣告していた。

そんな中、イギリス陸軍少佐ペンバートン(レオ・ゲン)、米空軍中尉ブラッドレー(ピーター・ボールドウィン)、ロシア戦車隊軍曹ナズコフ(セルゲイ・ボンタルチュク)が一緒に逃げていた。しかもブラッドレーは脚を怪我しており、一人では動けない状態。

そんな三人は闇物資の調達に来た修道女たちに助けを求めた。その中の一人エスペリア(ジョヴァンナ・ラッリ)のアパートの部屋に一時的に匿ってもらえることになるが、どうにも彼女の様子がおかしい。

何故なら彼女は修道女ではなく、闇販売で生計を立てていたのだ・・・

三名の脱走兵と敗戦直後のイタリア人たちとの関係を描くドラマ。

脱走兵は捕まれば再度収容所送りになるが、匿った市民たちは死刑。

本来同盟国であったはずだが、関係性はあまり良くなかったようだと想定させる。

事実、登場してくるローマ市民たちは闇商売で生計を立てるヒロイン、その恋人は対ドイツ抵抗運動員だし、人間味溢れる町医者、神父らも皆アンチドイツ軍という態。

匿われている捕虜たちも治療に来た町医者に対して、今まで誰一人ファシストはいなかったと言うと、町医者はイタリアは風になびく旗のようなもので風が止むと元に戻る、と。

反戦映画として市井の人間を描くのを好んだロベルト・ロッセリーニ監督は本作でも同様。

しかも面白いのは脱走中の捕虜がイギリス、アメリカ、ロシア兵で各人が母国語しか話せないという設定。英米は英語で会話可能だが、ロシア兵は彼らの手振り身振りで理解し従うという構図。

しかも逃げ込んでいるのはイタリアゆえに町医者以外はイタリア語しか話せない。何とかコミュニケーションを取ろうとするも相手の表情から察するしかない。

ヒロインの近くには貴族系も居住しているので、高等教育を受けているから英語は達者。しかも進駐するドイツ軍にも貴族の高官がいたりして貴族同士で親交があったりする。

本作の意図は国も言語も違うが人間は本能として理解し合えるはずという性善説である。

確かに戦時下なので死者もでたりするが、一番嫌な人物は元司祭のくせに憲兵隊に内通し教会内に神父として匿っている男たちを侮蔑しながら逮捕させる男だろう。

更に興味深いのは逮捕させる相手がドイツ軍ではなく、イタリアの警察憲兵隊というのも深謀遠慮さを感じる。

些か詰め込み過ぎた内容で冗漫さを感じるが、戦争が市井の人間たちにどのような精神被害を被らせるかを外国兵らと対比させつつ、分かりやすく描いている反戦人間ドラマ。

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