スタッフ
監督:フェデリコ・フェリーニ
製作:フランコ・クリスタルディ
脚本:F・フェリーニ、トニーノ・グエッラ
撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ
音楽:ニーノ・ロータ
キャスト
ティッタ / ブルーノ・ザニン
ティッタの父 / アルマンド・ブランチャ
グラディスカ / マガリ・ノエル
ティッタの母 / プペッラ・マッジオ
ティッタの祖父 / ジュゼッペ・イアニグロ
ジーナ / ドナテッラ・ガンビーニ
弁護士 / ルイージ・ロッシ
ヴォルピーナ / ジョシアン・タンツィッリ
タバコ屋の女主人 / マリア・A・ベルッツィ
日本公開: 1974年
製作国: 伊・仏 チネテカ・ボローニャ作品
配給: ワーナー
あらすじとコメント
イタリアの名匠フェデリコ・フェリーニ。前回同様、自身の若かりし頃を過ごした郷里での思い出を具象化した名品。
イタリア、リミニ
アドリア海に面した避暑地として有名な場所。時は1930年代後期の冬尽くころ。
その地では綿花が町中に舞うと春の訪れとなる。15歳の思春期になるティッタ(ブルーノ・ザニン)や建築業を営む父を筆頭とする家族や、町中の人間が厳しい冬からの解放を喜び、わら製の「冬の女神」人形とガラクタを町の広場で「お焚き上げ」する祭りが催された。
そして春から夏へと季節が移ろっていく中で、町の人々に様々なドラマが起きて・・・
忘れ難い青春時代の一年を描く抒情詩の名作。
主人公の少年は、まさに当時の監督である。夏は賑わう小さな避暑地だが、それ以外は住人ばかりで閑散としている場所。
そこに暮らす人間たちの群像ドラマである。登場人物も実に多彩で、主人公の家族も精神病院に収監されている叔父さんも含め、個性的な人々のみ。
他にもいつも子供らに悪戯される盲目の楽士、頭が弱く常時欲情している女、偉そうな伯爵家族、そして主人公を含む少年らが憧れる肉感的美人。
他にいかにもフェリーニ好みの巨乳で巨漢のタバコ屋の女将など実に多彩であり、主人公らが通う学校の教師陣も誰もが個性的で、どこの国でも教職者は似たタイプばかりだと苦笑を誘う。
冬から春、そして夏の海水浴場など監督の生まれ故郷リミニをこれでもかと美しく描き、その中での千差万別な人間模様が紡がれていく。
どのエピソードも断片的でありながら、実に美しく、時にはコミカルさを前面にだした進行は微笑ましい。
ただ、途中でやがて戦争へと突入していくであろう「黒シャツ党」の威圧的で街の全員が追従しないと秘密警察に拷問されるという、とても異質感のあるシーンも登場してくる。
他にも映画の流れを断ち切ったり、場面転換するための手法として顔を隠して駆け抜ける暴走バイクやら、画面に向って語り掛ける弁護士など、実に常に『ごった煮』的ティストで押してくる。
進行としては硬軟取り混ぜたサーカス的でもあるし、冬に間違って入り込んできた孔雀など実にカラフルでもある。
そしてやはりフェリーニらしさを感じるのは『海』の描き方である。薄幸のヒロインが海辺を歩くシーンが実に印象的な「道」(1954)、「甘い生活」(1959)での冒頭場面など常に印象深い描かれ方である。
本作も然りで、季節をまたぎ全編をロケで描いているのだが、豪華客船が洋上を通過するのを町中で見に行こうとするシーンでは海がセットなのである。
この意識的演出は後の舞台演出を意識した「そして船は行く」(1983)への伏線的な印象を受けた。
どの映画を通して観ても、フェリーニにとっての「海」は万物を生みだす母性であり、逆に死ぬと戻って行く場所として捉えているように感じてならない。
それを実景とあまりにも嘘っぽいセットと双方を登場させることによっての新境地をも感じさせる。
本作は綿毛で始まり、綿毛が舞う場面で終わる一年を描いたものだが、監督の思春期に重大な影響を与えた一年間なのだろうと推察できる。
ファンタジーでもあり、逆にリアルさがグロテスクさを押し付けてくるといった、まさにサーカス的進行で、微笑ましくもセンチメンタルさを浮かび上がらせてくる名品だと感じる。
